がくえんゆーとぴあ まなびストレート! 第8話

長演説はアニオタのロマン。これだけで、このアニメがオタク的意識によって作られている事が分かる。(w)
学生運動をイメージしたまなび達の空回りするやる気。これと似たような描写に「うる星」のメガネを使った押井守ギャグとかがあるが、両者の立ち位置は180度まったく違うものだろう。自分自身のエゴを投影してしまう自虐性を含んだ危険で哀しいギャグと、ギャグである事、娯楽である事を前提とした安心感としての楽しさを求めたギャグ。作り手の世代が変わっている事が認識できる象徴的な描写だ。・・・昨日のイベントの影響で妙な事を考えてしまうなあ。
とは言え、まなび達の置かれている状況は厳しい。
彼女達の夢、学園祭の中止。それは当初、他校の理事長という手の届かない仮想敵として表れる。しかし、その事は実は幸福な事だったのかもしれない。他校の理事長として門前払いを続ける存在ならば、「学園祭の中止」は「単なる残酷な運命」となる。抵抗運動を続け、敵わず敗れてもそれは全て「仮想敵のせい」ということになる。彼女達は「抵抗運動をした」という生徒会の運動を成し遂げたわけで、それは一つの成果として終わるだろう。
しかし運命はもう少しだけ残酷だ。他校の理事長という手の届かない存在だと思っていたものは、実は兄の恋人だった。身内の鞘当てとして、遠慮無い言葉を交わせる存在。そして付きつけられる一番の問題点。
何の為の学園祭か?
「学生70%の支持を取り付ける」という、兄の恋人として甘さの見える妥協案は、まなび達に真の命題を付きつける事になる。まなびの拙い言葉の中では「楽しい事をする学園祭」でしかない。それは外圧によって否定された時、生徒達にとってどうでもよい事に早変わりする。
しかし、ななびの中では、本当は違うのだろう。他の何かがある学園祭。それは他の生徒会役員達の中に存在しているかどうかも怪しいものだ。しかし、それが無い限り学生達の支持は得られない。
そして、この問題は、「なぜ学校が必要なのか?」という、根源的なものにも通じる問題でもある。
まなびは言葉を、論理を持たない。しかし、これはまなびにしか絶対に解答を導き出せない問題なのであろう。一体どのような突破口を見出すのか、次週以降が実に楽しみだ。