覚醒ビスク・ドール

覚醒ビスク・ドール(DVD付)

覚醒ビスク・ドール(DVD付)

感想書くのが随分遅くなってしまった。
なんといっても思い入れがかなりあるので書きたいのは山々なのだが、その思い入れ故、はっきり言って他人様に理解出来ない事を書いてしまいそう。人の話を聞かないで自分の頭の中だけで妄想を膨らませるという特技(w)のおかげで、清水愛のCDの作り出す独特の世界観については、もう、これでもか、というくらいの自分勝手な独自の物語が出来ていたりする。
今回のCDも、やはり今までのCDと独特な世界観の繋がりを感じることが出来、その感想を書くにしても、その「私の捉えている世界観」の流れを説明した上でなければ意味を為さない言葉になってしまう。早い話、「電波」な感想なわけだ。
前置きが長くなったが、とにかく書いてみる。出来るだけわかりやすい所から。
今回のテーマは「新展開」だろう。かなり激しく過去の自分からの離脱、覚醒を求めている歌だ。そう言う点では、前回までのCDを一つのサイクルとすると、新しいサイクルに入ったような感じすら受ける。第1期を「柘榴姫サイクル」とすれば、第2期「ドールサイクル」といった感じだ。C/Wの「置き去りの肖像画」は、離脱した過去に対する思い(「怨念」と言っても良い)を綴った物であり、前向きの心である「覚醒ビスク・ドール」とは、正に表裏一体となっている。
「柘榴姫」とは一体何を意味しているのか、などと言う事を解説し始めると長くなってしまうのだが、簡単に言うと「アイドルになりきれないアイドルの心」の象徴的存在。(と私は捉えているわけだ。)それが、一人の男性と恋仲になりながらもアイドルとしての立場を捨てきれず自分の世界に戻っていく、というのが「柘榴姫サイクル」の大きな流れだった。(うわっ!そんな話どこにも無いw。完全に妄想によって生まれたストーリーだ。…妄想物語のほんの一部、アウトラインでしかないのだがw。)
今回の展開では、そんな自分の立場をある程度肯定的に受け入れた上での、前向きな姿勢に変わっている。しかし、そこは「清水愛ワールド」(もしくは「愛×亜貴ワールド」と言うべきか)、一筋縄では行かない雰囲気も備えている。
ここでの主人公はビスクドールに例えられている。そしてこの歌は、新しい愛を得た事により、自分自身が覚醒した喜びを綴った歌だ。
しかし、この主人公は最後の最後までドールなのだ。ドールとして目覚め、ドールとして愛を知り、ドールとして新しい世界を喜んでいる。正に「覚醒ビスクドール」と言う訳だ。ドール=アイドルとするならば、柘榴姫=プレ・アイドルとの繋がりも強く感じることが出来る。
ドールとしての自分の立場を受け入れた上での、新しい愛の形。それが幸福に昇華するのかと言えば、それは柘榴姫の時よりもよほど困難だろう。そんな、より深い混迷を秘めたラブソングに仕上がっている。そんな風に感じる。
・・・酷いね。ここまで自分勝手に妄想を膨らませるとは。
ただ、このワード世界は清水愛というアイドル声優を題材にした畑亜貴の妄想ワールドと捉える事も出来るので、決して有り得ない解釈ではない、と思っている。少なくとも自分としてはこう信じちゃっている。
次の展開も期待したい所だ。