椎名桜子女神論

ある日突然桜子に転んだ、という訳ではないw。
以前から桜子について考えていた(妄想していた)事を吐き出してみる。
というのも、先日の「あれ」がかなり衝撃的だったから。
赤松健同人誌「DUO」 より

いると便利な桜子。
一人でじゃんじゃんにぎやかししてくれます。
・・・その代わり、単独回は来なさそう。(^^;)

(^^;)じゃないよ・・・
これにより桜子は、単独回、つまりクラスメイト編が描かれない事を示唆された最初のキャラになったのではないかと思う。
しかし、このまま「桜子=脂肪」となるのはかなり癪だ。なので、この「桜子クラスメイト編無し」を意味のある事にしてみたい。
つまりこの文では「桜子クラスメイト編無し」には、とっても重要な秘密が隠されている、と推測してみる。
桜子のイメージはなんだろうか。
とっても明るい。いつも笑っている。賑やか。クラスのムードメーカー。
とにかくポジティブで明るいイメージだ。
そして、彼女の一番の特徴というと「強運」というのがある。
物語中では地味に描かれているが、彼女が賭け事をした際、決して負けないようだ。少なくとも、負けた描写は一度も無い。
しかし、これは不思議な話だ。彼女は、どう考えても的中率の低い試験順位トトカルチョでも外したことが無いらしい。これはほとんど予想の付かない賭け事だろう。少なくとも、「一度も予想をはずさない」と言う事はどう考えてもありえない。あるとすれば、それは正に「強運」としか言い様が無いだろう。
そこで、気になってくるのが、このネギま!という物語の成り立ちである。
作者の赤松健は「精密機械のような物語を作りたい」といっている。これはどういう事を意味するかというと、無意味な事や理不尽な事は基本的にありえないようにしたい、と思っているようなのだ。
だったら、各キャラの特徴についても意味を持たせているはずだ。それは当然桜子の「強運」についても適用されるだろう。
しかし、「強運」に理由をつける事が出来るだろうか。「運」とはつまり人知の及ばぬ力=つまり神の力である。それに人間として何かの理由をつける事など出来る筈が無い。
そう、「人間として」では理由は付かない・・・。では、神そのものならばどうか。
つまり椎名桜子は彼女自身が幸福の女神そのものであると推測する。それがこの「椎名桜子女神論」の趣旨だ。
そう考えると、今までの彼女の描写に、僅かながら腑に落ちる点が見えてくる。
なぜ、彼女は今の3-Aとなるクラスに最も古くからいる事が明確に描かれているのか。(14時間目)(明日菜といいんちょの出会いのシーンでは、桜子だけが明確に分かる描かれ方をしている。)
そして、なぜそんなクラスに、次々と元々は不幸な生い立ちを持っている特異な生徒が集まってきたのか。
また、そんなクラスから旅立とうとしている超に対し、お別れパーティの席では普段の桜子には見られないほどの切実さを持って接し、一番近くに付き添っていたのはなぜか。(135時間目)(3Pには、唯一彼女の悲しむ表情が見られる。)
そして、なにより、この麻帆良学園麻帆良祭は何者かの幸運に守られているかのような描写がされているのが、その守っている存在は一体何なのか。(130時間目)
これらの謎は、桜子が幸運の女神であるとすると、まるでパズルのピースが組み合うみたいにぴったり来る。
もちろん、証拠になる事は何一つ無い。
しかし、今回、「桜子クラスメイト編無し」が示唆された事も、この推論の一つの裏づけとなる。
桜子が幸運の女神であるとすれば、その存在は他のキャラクターと同列では扱えない高次元のキャラクターという事になる。彼女はクラスのムードメーカーであると同時に「運命の女神」として物語上絶対的な存在になるのだ。そんなキャラクターであれば、クラスメイト編は不要だろう。
今後のネギとネギパーティ、そしてクラスメイト達の辿る道は、少しずつ困難な道になっていくのかもしれない。それは、修学旅行編、超編のクライマックスから考えても想像が付く。絶対的に不利な状況におかれ、どんなに人事を尽くしても到底覆りそうも無い危機がやってくるかもしれない。
そんな時、それを救う存在こそが、椎名桜子、幸福をつかさどる絶対的な運命の女神なのだ・・・!!
・・・なんて、ダメ妄想を繰り広げて、桜子の行く末を案じてみたりする今日この頃。