ネギま!を読む行動原理

  • 「わかりやすさとは何か?」〜最近ネギまは面白くなくなったと思いますか?

その一http://ameblo.jp/petronius/entry-10068423918.html
その二http://ameblo.jp/petronius/entry-10068833013.html
この問いに対する答え。
今週202時間目を読んで気付いた。
そう、確かに最近、心の底からネギま!を面白いと思えていなかったのではないかと、思い至った。
なぜなら・・・
その理由は・・・








だって、夕映が出てなかったんだもん。
あ〜、夕映がいるのを確認出来ただけで幸せ(^^)。
(・・・そんなオチ)

物語が「決壊」するとき

せっかくのとても興味深い問題に、オチ話をつけるだけでは申し訳ないので、もう少し書こう。

  • 「わかりやすさとは何か?」〜最近ネギまは面白くなくなったと思いますか?

その一http://ameblo.jp/petronius/entry-10068423918.html
その二http://ameblo.jp/petronius/entry-10068833013.html

この事は、個人的に結構色々考えていたりする。けれども、無造作に書くだけでは、単にネギま!の問題点を挙げるだけになりかねないので、今まで書いていなかった。
まあ、私の考える事、ネギま!の問題を広く一般化して語っている文章には及びも付かないが、とにかく「最近ネギまは面白くなくなった」と思われてしまう理由について、私なりに考えてみる。
まず、「ネギまは面白くなくなった」と言っている人の中には、案外今までネギまを長く楽しみ続けていた人も多く含まれているらしい、という事がある。だからこそ、長く続いたネットサイトなどでも閉鎖する所が目立ち、良くない雰囲気が広まった。そういった点では、ネギま!の「つまらなさ」は単に情報量過剰だけではないと思う。ネギまファンは本来「情報過多である事」そのものを楽しんでいたのだから。
以前、私は「ネギま!のどこが面白いか」という事を語った事がある。

漫画「ネギま!」の魅力は幾つかあるが、その一番の魅力は「情報の積み重なり」だと思っている。

それは、今も変わりは無いと思う。
そして、ネギま!における現在の一番の問題点は、この「情報の積み重なり」に支障が出てきた事ではないか、思っている。
「情報の積み重なり」とは、単に情報を提示する、という事ではない。情報が意味を持って「積み上がって」いく事を意味する。情報が「積み上がる」為の条件とは、つまり、情報量の多さに加えて、詰まれるべき範囲が定められている事が要件となる。そして、その「定められた範囲」とは、場所においては「麻帆良学園」であり、目的においては「先生になる」という事。つまり、これらの「定められた範囲」が崩れたと感じたからこそ、「情報の積み重なり」も崩れ、ネギま!の魅力が半減していると感じている人がいるのではないだろうか。
早い話、ネギま!が「魔法世界編」に偏りすぎた事が、最大の原因なのだろう。
しかし、以前にも「修学旅行編」では場所を麻帆良学園から京都に移したという例がある。各クラスメイト達がばらばらに行動し、暫く出てこないクラスメイトがいるような時期もあった。それが、なぜか今このタイミングで、このような声が大きくなったという事は、つまり、皆が「定められた範囲が崩れた」と感じてしまう「一線」を、今回はどこかで超えてしまったという事になる。では、その「一線」とは、一体どこだったのだろうか。
それは多分、「参加しなければならない拳闘大会が1ヵ月後に開催される事が分かった時」だろう。
魔法世界に場所を移しても良い。それについてこれなかったクラスメイトが居ても、まあ良いだろう。なぜならば、ネギパーティの魔法世界探検そのものは、(多くの人が忘れかけているかもしれないが)学校活動の一環である「英国文化研究倶楽部の活動」とされているからだ。クラブ活動である以上、そこで行われていることがどんなに荒唐無稽だとしても、それは最後には「学校活動の一環」としてまとめることが出来る。「学校活動の一環」、それはネギま!という物語の展開が認められている「定められた範囲」そのものではないだろうか。
しかし、「拳闘大会が1ヵ月後」という事実は、それをそのまま受けとると、「学校活動」の範囲を大きく逸脱している。クラブ活動どころか、夏休みを一ヶ月過ぎた頃まで、担当教諭と一部の生徒が外国で「失踪」してしまっている事になるのだから。それは、魔法世界が絡むまでも無く、ネギという教師の進退問題になるだろう。正に「魔法先生ネギ」の本質が崩れる事と同義だ。この「拳闘大会が1ヵ月後」という情報の提示は、ネギま!という物語が「決壊した」と感じざるを得ない出来事だったといえる。それは、ネギま!を長く愛し、把握していた者こそ、より強く感じたに違いない。
とはいえ、本当にそんな展開になるのだろうか。これはある意味「直線的な感じ方」でしかないともいえる。ネギま!の世界は時間操作の存在が認められている世界でもある。また、今までにも絶対的な危機に対して突拍子も無い展開でそれをクリアしてきた事実もある。原作者を信じて、若しくは穿った見方をすれば、「拳闘大会が1ヵ月後」=「魔法先生の喪失」という展開はおそらく無いと信じることが出来る。つまり、これは直感的な問題なのだ。理性で分かっていても、その救済措置が取られるまでは「決壊」状態は継続されている。その間のストレスがあまりに大きく、それはやはり「つまらない」という気持ちに繋がる事もあるのだろう。

とまあ、ここまではネギま!の構造を深く理解してる濃いネギまファンが、最近の展開を受けて「陥る罠」について語った訳だが、一方、もっとライトなファンが最近の展開をどう受け止めるかも、気にしておきたい。おそらく、「歓迎」の方が強いのではないだろうか。最近のネギま!で強くなってきているバトルとエロの描写は、その一シーンを見ただけで楽しむことが出来る。ネギま!という物語が今現在どのような展開になっているのかを把握しなくても、そんな「ひっかかり」から、少しずつ作品を受け入れることも出来るだろう。そんな人を新たなファンとして取り入れている可能性もある。
新展開とは、多くの場合、古いファンには辛く、新しいファンへの旨味の方が強いだろう。いや、作品が長く続く為には、そう在るべきだと思う。それに作者の赤松健は、ファンを切り捨てるような事はしない。そんな「もったいない事」をするような人ではない。古いファンにとっての今の辛い展開は、何時か解消されるよう構成されているに違いない。事実、それを可能にする伏線も張られているように思う。そして、それがなされた時にネギま!という物語は、より高く「積み上がる」であろう。
今は、新しい展開を受け入れる「新しいファン」のように柔軟な気持ちを持ち合わせて、ネギま!を楽しんでいきたい。
結論:やっぱり、ネギま!は面白い。