綾瀬夕映について その三 夕映は何故「です」口調なのか。

今回もかなりの妄想系考察。一つのトピックにつきこれだけ長文になるのだから、今までまとまらなかったのも頷ける。(^^;
夕映というキャラクターを特徴付けるものとして、特に目立つものが語尾に必ず「です」を付ける独特な口調だろう。丁寧語の域を越えていて、明らかにおかしな言い回しだ。
夕映はどうしてこのような「です」口調を使うようになったのか。
この事を考えてみてまず思い浮かぶのが、夕映が尊敬していたという祖父綾瀬泰造の事だろう。
この人物は夕映が中学に上がる頃に死去しており、夕映は小学校時代までこの人にかなりの影響を受けていたようだ。また、夕映は中学入学当時から「です」口調であった事も確認できる。(128時間目)このおじい様の影響というのは充分考えられる。
例えば、幼い夕映は大好きなおじい様に失礼にならないよう一生懸命尊敬語を使おうとして、その口調が染み付いてしまったのかもしれない。もしくは、綾瀬泰造という人が誰に対しても尊敬の念をもってあたる人物であり、幼い夕映に対しても丁寧語を使っていた為にその口調が少し変形して移ってしまった、ということも考えられる。(綾瀬泰造自身がこの独特な口調でそれが移った、という事も考えられるが、それはかなり特殊な例だろう)
しかし、これらの説には少し違和感もある。夕映が変な口調のまま会話をしていたとして、祖父という教育者の立場からそれを直す事はなかったのだろうか。
また、中学入学時の夕映の性格も少し気にかかる。尊敬するおじい様から日々薫陶を受けていたとして、その死後、すぐに「やな奴」(ハルナ談)になってしまうものだろうか。「世界のすべてがくだらないもので出来ているように感じられていた」というのも、あまりに極端な感じ方と思える。
夕映はおじい様の事が大好きで尊敬していた、という事は彼女の言葉からも明らかだ。けれども、そのおじい様との関係には、どこか「満たされないもの」が感じられる。
もしかしたら、実は夕映はおじい様とあまり多くの会話はしていなかったのかもしれない。
一つには、夕映がまだ幼かった、という事があるだろう。自分の未熟な哲学でおじい様と会話するのは恥ずかしい、と感じていたかもしれない。夕映が自分の中にある劣等感を補完する為におじい様と哲学を求めたとして、尊敬するおじい様に心を開いて哲学論を交せたかどうかは、かなり怪しい。綾瀬泰造自身は夕映に多くの助言を残している事から、積極的に夕映に対して話しかけていたとも考えられるが、夕映自身は尊敬する人物の前で上手く言葉を発っせられなかったかもしれない。
いつかおじい様と対等の会話をしたいと望み、小学生の若い身空で日々哲学に邁進していた矢先、そのおじい様を亡くしてしまった。そう考えると、中学入学当時の虚無性を漂わせた夕映の性格と繋がるのである。
そして、夕映の独特な口調も次のように考えられる。
夕映は、いつかおじい様と哲学論を交わすため、幼い頃からずっと自分の心の中で架空のおじい様と対話していた。その会話の中では誰にも咎められることなく会話が行われる為、間違った尊敬語のまま会話してしまっていた。それがクセになってしまい、独特な「です」口調として実際の会話でも使っているのではないだろうか。
口調はその人の人格を如実に表すもの。もしかしたら、そのおじい様との架空の会話は夕映の人格を形作るほど重要なものであり、さらに言えば、幼い日の夕映にとって「すべて」だったのかもしれない。生身の会話であれば、その相手を亡くしても「会話をした自分自身」が残る。しかし、会話自体が空想であればそこには何も残らない。だからこそ、夕映はおじい様を亡くした時、「世界のすべてがくだらないもので出来ているように感じられていた」のかもしれない。
綾瀬泰造は物語中既に故人であり、その存在は謎に包まれている。その為、夕映にどのような影響を与えたのかも、実際には謎のままだ。出来る事ならば、今後のエピソードにおいて綾瀬泰造という人物がもう少し描かれる事を期待したい。
例えば、カシオペアを使って夕映が生前のおじい様に会いに行く、なんてエピソードがあったら、本気で泣くかも。(^^)
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