アイマスZIと比較して明らかにするなのはSSの構造的欠陥

どうにも、なのはSSが今一つ調子が悪い。見ていてフラストレーションが溜まってしまう。
その理由を少しだけ解明する為、アイマスZIなんかと比べてみる。
この二つの作品、あまり接点が無いように思えるが、案外、物語の構造に共通する部分が多い。というのも、どちらも「戦隊物」それも「新人隊員物」だから。
部隊は世界の危機を救う先鋭集団。主人公は田舎出身で新人隊員。先輩にはエリートが揃っている。しかし主人公が次期エースと嘱望され最前線要員に。主人公には幼い頃のトラウマがある。気負いすぎて失敗する事も。部隊には色々と謎があるらしい。さらに想定外の敵も登場して状況は混迷。
…定型的な物なので、似てしまうのはよくある事だ。
ただ、どちらの方が構造的に良く出来ているかというと、明らかにアイマスZI。言いたくは無いが、実際の所アイマスZIの方が倍くらい面白い。なぜこうも面白さが違うのだろうか。
それは「主人公視点を意識した情報提供管理が出来ているか」ではないかと思う。
アイマスZIはあくまで主人公春香の視点で物語が進み、情報が提供される。そこでは主人公の認識の範囲内での情報提供しかされない為、決してその量は多くない。しかし、それでも視聴者は「主人公がそう感じているのだから」と納得できる。そして視聴者はあくまで主人公と共にその世界の事を知っていく為、主人公に対する感情移入度も高くなる。また、そのような情報規制をかける事によって、他に描ける事柄も多くなり、隊員同士の心の交流や軋轢などがしっかりと描かれる…といった感じ。
対して、なのはSSは、まず主人公が曖昧だ。ある時はスバル、ある時はなのは、またある時は、エリオかも知れないし、ティアかも知れない。誰もが主人公になりうる要素を持っている。その事自体は決して悪い事ではないが、その場合、情報管理はバラバラだ。様々なキャラの視点から見たシーンが描かれ、それぞれを視聴者に理解させようとしている。もちろん、アイマスでも主人公外の視点描写はあるにはあるが、それはあくまで「謎」として描かれ、理解しなくても良いように出来ている。
さらに、なのはSSで事態を難しくしているのが、前作がある事に加え、様々なメディアによる事前情報提供がある事。どの部分から入った視聴者にも対応できる様に作ってあるらしいが、実際にはどの視聴者層に対しても中途半端な対応になっているといえる。こうして上手く整理されていない情報が、ただただ垂れ流されてしまっている。その為、その無駄とも思える情報提供に時間を費やしてしまい、ドラマそのものも描ききれなくなってしまう。
物語には「お約束」という言葉がある。物語を楽しむ際、視聴者はある一定の立場に立って情報を「知らないふり」をする。それが物語を楽しむコツだからだ。
例えばなのはSSの場合スバルを主人公と決めたとすると、あくまで彼女の視点から物語に入り込み、どんなに事前に情報を持っていても知らない事にして楽しむ事が出来る。
しかし、実際には主人公の指定が曖昧だと、どの視点で見るべきかが定まらず、提示された情報をどう感じるべきか迷ってしまう。下手をすると、情報提示の歪さから世界の設定自体が歪であるかの様にも感じてしまう。もちろん、複数の視点から描く群集劇のような物も有るが、謎によって物語を引っ張ったり、個人への感情移入を重視するこの物語にとって、これは明らかな構造的欠点だろう。
もし、このなのはSSの、構造的欠点の改善策があるとすれば、それはやはり主人公を一人に絞る事だろう。そして、その主人公は、このような物語構造では、やはりスバルにすべき。言いたくは無いが、実際にはなのはが表に出過ぎなのだ。なのはというキャラの人気によって続いているこのシリーズにとっては本末転倒も甚だしいが、それでも、この構造の物語を作ろうと意図したのならば、なのはを物語の枠の外に追いやるくらいの事をすべきだった。例えてみれば、種ガンに続く種死の、キラの立場のように。また、そうする事によって、なのはの偉大さを強調する事も出来る。
まあ、今となっては修正できる事ではないので、このまま進むしかない。また、情報が出揃い一つ一つの設定に意味が染み渡ってくれば、今挙げた構造的欠陥も解消されてくるだろう。
その時までは、暫くの間辛抱するしかないのかも知れない。