パクティオーの魔力について、改めて考える

ネギま!では結構良くあるのだが、最初に把握していた設定が実は別の意味だった、という事がある。これは、ネギま!という物語世界がより深みを増していくことにより、当初ある程度曖昧に提示されていた設定が、より細かく描写された事により、読者に認識のずれが生じるからだろう。
また、その様な設定の中には、原作者自身も別の意味で提示していたのだが、「この方が都合が良い」という理由で変更されている設定もあるかもしれない。それでも、当初の設定が曖昧で、「この様にも取れる」というのであれば、矛盾した事にはならないのだから、何も問題ではない。
最近の例では、「アーティファクトカード」という名称が読者を混乱させている。パクティオーカードには種類があるのか。アーティファクトが与えられないパクティオーがあるのか。それは今までの読者の認識からずれていている事実だった。
パクティオーは、ネギま!の根幹とも言える設定であり、これによって物語の展開にも大きな影響を与えるものである。逆に言うと、この設定によって物語が振り回されないように、作者としては出来るだけ曖昧にしておきたい部分なのかもしれない。
ただ、その様な設定であるが為に、今までの物語の変遷によって、既に幾つかの部分で大きな認識のずれが出来てきていると思う。そんなずれを再度確認してみるという試み。

  • 魔力の授受

最近、パクティオーにおいて最も認識のずれが生じているのが「魔力の授受」では無いだろうか。
物語当初、パクティオーはネギと、魔法の素人明日菜による、麻帆良学園内だけのものだった。ここでは、魔法使いが魔法を持たないものに対して魔力を送るという、基本的な形だ。また、この2人は学園内にいるので、距離の問題なども出てこない。
しかし、実は魔力は万人が持つものであり、魔力を操る事も出来、誰もが魔法使いになれる可能性がある、という事実が提示されてから、状況が複雑になっていると思われる。
当初、明日菜はネギから「契約執行」(シス・メア・パルス)という形で魔力を受け取り、身体能力を向上させた。(20時間目)その後、ネギの呪文を必要としない「シム・トゥア・パルス」によっても、身体能力を向上させている。(84時間目)この頃は、基本的に魔法の授受には主人の魔法執行(若しくはそれに代わるもの)が必要である、とされていたのだ。
しかし、次にアスナは咸卦法を取得する。(101時間目)この時、ネギの魔力はほぼ自動的に明日菜に対して流れ込んでいるような描写になっている。気と魔力の合一という高等技術を行っているのだから、明日菜はこの時から魔力を自分で操るようになったのだろう。
この時の明日菜の中での魔力の流れは、一体どのようなものなのだろう。明日菜は、ネギにお伺いを立てなくても魔力を貰う事が出来ている。シム・トゥア・パルスよりも自然に。
こうなると、パクティオーの主人と従者の魔力の授受とは、実は当初考えられていたよりも自由度が高いのではないか、という事になる。一度契約をしてしまうと、両者には「魔力リンク」が出来、それは分かち難いものになるのでは無いだろうか。
そして、当初あった「シス・メア・パルス」「シム・トゥア・パルス」という呪文は、一体なんだろうか。それは、魔法を使う事ができない従者に対して、与えた魔力を有効に活用させる為の「初心者パック」のような物だと考えられる。実際には魔力を与える為の魔法ではなく、それを使う為の魔法という事だ。ネギが自分自身にかけた「シム・イプセ・パルス」(41時間目)なども、この考え方からは外れていない。
少なくとも、現在のネギま!では、ネギの各パクティオー者はこの様に使っていると思える。

  • 魔力リンクの条件

また、そうなると気になってくるのが、魔力が到達する距離などだ。魔力が自由に使えるとして、それには環境による制限は無いのだろうか。
例えば、ネギが魔法の使えない牢に入れられたとして、魔力は伝達するものなのか。(138時間目)エヴァの別荘で修行をしているとして、その広大な中の世界と外界は魔力が伝わるものなのか。(170時間目)さらには、地球の1/2の惑星「魔法世界」でバラバラにされて、従者たちへの魔力供給は可能なのか。(189時間目)
物語を変幻自在に展開しようとすればするほど、この魔力リンクの環境制約は危うい存在になる。各パクティオー者が自身の魔力を使っていれば問題ないが、ネギチームにはそうでないものも多い。例えば、アーティファクトに頼る者が多い中、アーティファクトは所有者の魔力を消費しないのだろうか、という問題と絡んでくるだろう。魔力を食いそうなパルの「落書帝国」は、ネギと離れても使えているのだろうか。
そして、やはり気になるのが夕映の謎の魔力増大だろう。パクティオーカードの絵が戻るのと共に、「魔力が溢れてくる」と言っている。(213時間目)これは、普通に考えてパクティオーによる主人からの魔力供給が戻ってきているとするべきだろう。
この様に、魔力の供給には場所などの状況による制限が全く付けられていないのではないかと思える。これは、カードによる従者召喚に「5キロから10キロ」と制限が付けられているのと全く違う。しかし、物語を展開させるに際して、「ネギがこけたら皆こけた」みたいな状況にならない為にも、この程度の自由度は必要と思える。
パクティオーカードには、どんなに離れていても主人が死ねばデザインが変わる、という設定がある。同じように、魔法の授受も距離などを問題としないのかもしれない。
パクティオーにおいて、魔力リンクこそは基本的な特性であり、それはどのような条件化でも変化しない、という設定がされているのかもしれない。
ただ、「授受は自由意志」「距離等の制限無し」と、ここまでの自由度を設けた場合、実際には、主人の方の魔力の上限に問題ないのか、魔力利用に気付く事すらないのか、などの疑問点も残るだろう。
結局この設定は、曖昧なままで推移するとも考えられる。