ネギまのラジオの感想 〜まおゆうシステムをトミノ監督をダシに考える〜

ネギまのラジオ、とても面白かった。
特に、話の本筋となっていた、脱英雄論の部分。ネギまとまおゆうの類似性について。
これがネギまにおいてとても重要なポイントだという認識で見ると、ネギまの結末を納得しやすいというのは肯ける。
ただ、赤松健の物語作りがそこにこだわりが有ったのか、という点では少し疑問。というか、まおゆう面白いけれども、それをエンタメの最先端として崇める感じなのは、少し違うのでは無いかなと思っている。
勧善懲悪としてのエンタメの袋小路を、アニメとかオタク文化に提示しのは、有名な所では富野監督作品だろう。トリトンとか。以降、少し大人を意識した作品には必ずこのテーマは登場して、所謂オタクとなるべきファンを魅了してきた。
そして、そういう作品には具体的なエンタメの要素とか、ハッピーエンドのフォーマットとかが提示されず、一部の成功例は熱狂的に受け入れられ、多くは失敗作として消えて行ったと思う。
そういった意味で、まおゆうはそういったテーマを取り上げているのにも係わらず、エンタメ性にも優れたフォーマットを持っていると言え、それは評価すべきことだと思う。
けれども、これはエンタメ性を重視した一種のトリックを用いたフォーマットだと思っている。
このエンタメ性なのだけれども、実はとても魅力的な設定が取り入れられている。それは「紺碧の艦隊」。
つまり、未来技術を現代に持ち込むことにより、歴史を再現しているので、真っ当な行為でヒーローが勝っているかのように思えるのだが、実はとてもチートな戦いをしているという事。
この歴史を再現しているというところが曲者で、歴史と同じ様に「畑を耕すという苦労をしているのだから正義だ」と一時は思えてしまうのだけれども、結局、強い力(科学力・経済力)で問題を解決するという事は他のエンタメと同じ。もちろん、これについてのエクスキューズも「紺碧の艦隊」と同じく有るのだけれども、何にしても物語の取っ掛かりとして「このアイデアがある」と思える強みは、何物にも変えられないエネルギーだと思うし、それだけで充分チートだ。
これは単にエンタメの一つの方法として認識しておく必要があると考えている。世界は変わる、というけれども、実際には、今の世界は「イノベーション待ち」しかない状況だ。先に富野監督がテレビで軌道エレベーターについて夢を語っていたけれども、それは現実の世界ではおそらく不可能だろう。なぜなら、現実にはパクティオーカードがないから。湾岸戦争も、100年計画を考えたところで解決方法は無いだろう。この問題は人の心の中にあり、それは「劇的なイノベーション」という文化文明を変えるほど、人の心を変えるほどのものでないと、解決することはできない。
いや、発展途上国のホンモノの発展など、パイの受け取り手として手を挙げる人数が増えているだけで、商業的には一時面白いかも知れないけれども、本質的には、全地球的な危機の加速でしかないんじゃないのかな?つまり、先延ばしの締め切りだけ早まっていて、フロンティアが生まれるのとは真逆。
まおゆうシステムは、より現実に近い物語を描いている点では魅力的だけれども、エンタメの一形態であり、新たなフロンティアを演出する「外の世界」の設定とそれほど変わらないと思える。未来の道具を使っているのにそれに対して引け目を感じていないというところなどは、のび太君レベルに卑怯かも、とか思ったりw。
赤松健については、きっとそのあたりも織り込み済みで、それでも今までのネギの設定として、納得の行く展開として選んだだけだと思う。
SFの世界では、現代の技術で実現可能といわれる軌道エレベーターを希望の象徴としていることも多いけれども、これも映画サイレントメビウスとかに象徴されるように、もう既に古びた概念になっている事も事実で、それは赤松健も充分理解していると思う。「トップをねらえ」とか、笑う所でしょう?
富野監督は本気かも知れないけれどw。