魔法先生ネギま!最終話のよかったところ

さて、どうしたものだろう。
目の前には、うず高く積まれた財宝の山があり、それは目がくらむばかりだ。
それも、これの元々の所有者は「忙しいから、これ、あげるよ」とか言って、居なくなってしまった。
残された方とすれば、この財宝の山をどう活用すべきか、途方に暮れるしかないだろう。
とはいえ、何時まで呆けていても仕方が無い。少しでも取り崩していって整理して、出来るならば陳列したり、原石を磨き上げたりして、この財宝を所有している事を、つまりこの物語を読者として受け取った事を、少しでも形にしたいものだ。
先日書いた最終話の感想は、かなり抽象的過ぎて、まるで書き足りていない。まずは、その最終話の「どこが良かったのか」を、取り急ぎ並べてみたい。

  • 「女子高」

実は、この最終話で最も「しびれた」部分が、このネギの発したワード「女子高だから」というもの。
これは、一瞬あれ?と思わせるセリフだ。「女子校」ではなく「女子高」なのだ。ネギまは中学生の先生の物語だよね。なのにここでは当たり前のように「高校」という概念が出てくる。
これがどういう意味なのかと考えてみると、ネギと31人(これも重要)のクラスメイトたちが、2話前の卒業式の後3年間、それまでと同様の「幸せな時間」を過ごしたという事を示している。これには泣いたね。
さらにその後、ネギが想いの人に告白するイベントは高校の卒業式の時だったという事も明らかにされる。これも、その三年間がラブコメとしての時を過ごせた事を意味していて、つまりはネギまという物語が、この後も今までの3倍の規模で存在しているということになる。
もちろん、それはこちらの想像の世界でしか展開できないのだけれども、この余韻の大きさは、私にとってとても大切なものだった。

  • 救われたナギと語られないアリカ

もしかしたら、これについて非難の方が多いのかも知れない。どうしてナギ救出劇が描かれないのか、どうしてアリカの事が語られないのか。そう思う気持ちも判らなくは無い。
しかし、これこそが、「その後のネギま」を創造する(想像にあらず)に、最も大きなエネルギーになっていると思うと、私は語られなくて嬉しいとすら感じている。
ナギ救出に関しては、それを創造する素材が、既に今までの物語でほとんど提示されている。その最後のシーンもほぼ読者の頭の中で想像出来ているものであろうし、その結果をこの最終回で提示した事によって、だれもが「そうだよね」と思ったはずだ。なので、これについては自分で想像すれば良いだけの話だ。
アリカに関しては、今まで最も語られていない部分と言って良いだろう。これは、「ネギ出生の秘密」にまで絡む問題であり、アリカはネギの母では無い可能性も残している。
そして、彼女は一体どうしてしまったのか。実際の所、それを書くのは簡単だ。アリカはネギの母であり、ナギを助けるべく行動し始まりの魔法使いに囚われてしまったが、それもネギが開放した。めでたしめでたし・・・、赤松健は幸福結末絶対主義だから、こうやって収めてしまうことも簡単に出来ただろう。
しかし、それは語られない。ここに、ナギ救出劇以上の巨大なドラマが潜んでいる可能性をあえて残したのだ。私は、アリカの存在については、ネギの母親に対する想いも含めて丁寧にドラマ化すべきと思っているし、それには単行本10巻でも収まらないものを感じている。なので、あえて書かない、何も語らないという事にしてくれたのは、実にありがたかった。それはネギの人生をより豊かにしてくれたとの同じだから。
アリカに関する物語については、時空を超えたとんでもない設定と展開を考えているんだよなあ。(まあ、アレのことだけどw)

  • 引きこもり千雨

ネギの本命問題に3年間の保留があったことの良さについては語ったとおりだが、実際には、その構造は中学生編と比べて大きく変わっている。というのも、ネギの本命は既に決まっており、それを聞き出すことが主眼となっているから。
これは、実はネギまが、普遍的なラブコメパターンになった事を意味している。ラブひなにしても、実は主人公の本命は既に決まっている。その中で、グジグジしている主人公に何故か周りの本命以外が惚れていくというのがパターンであり、つまり、メインヒロインは予め決まっているのだ。
ネギまは、主人公ネギが恋愛に無頓着な小学生である事により、非常に多くのヒロインを活躍させる事が出来た、かなり特殊なラブコメだった。しかし、それは中学生編で終わり。高校生編は、ネギの事が恋愛的に好きなヒロインが絞られ、ネギの本命との駆け引きが主流になったと言えるのだろう。
そして、千雨だ。まあ、あらゆる描写を考慮すると、ネギの本命は千雨としか考えられないだろう。
ガチ引きこもりになった千雨。これが何を意味しているのかというと、ネギの本心に気付いてしまった彼女の取るべき行動だったのだと思えば、完全に納得できる。
これは妄想だが、明日菜の居ない世界でネギが途中で死んでしまうのは、おそらく千雨が原因なのではないだろうか。生身の人間である千雨にして、100年は長すぎる。寿命を全うしたのかもしれないし、ネギに感化されて、「ネギの戦い」の中で死んだのかもしれない。そうして愛する人を亡くすネギの行動として、永らえる事が出来なかったのかも。千雨は、ネギがそれくらいしてもおかしくない大切な事を、既に彼に与えてしまっているんだよね。
ネギの「最初の師」にして「人生の師」、千雨 (2008/2/29)
長谷川千雨は、逃げない。(2008/4/15)
ネギの本命 裏予想(2011/12/1)
けれども、明日菜が帰ってきたことによって、ネギは永らえるかもしれない。千雨はネギを託せる存在を明日菜に見出して、幸せに逝ったかも・・・とか、100年先まで妄想してしまうw。

  • ハーレムエンドOK

だよねw。千雨は、巨大な存在になっているネギを受け止めきれるかと言うと、彼女の性格では難しかったのではないかと思える。だから引きこもるw。
これは、ネギの本妻として、人類の英雄であるネギという巨大な存在を、大衆社会を形成する為に作られた「小規模な慣習」から解き放つ行為だったと思える。
人類の英雄なのだから、ハーレム作っても良いじゃない。その中に取り込まれた女性は不幸だという認識も、もしかしたらあるかもしれないけれども、それはおそらく一夫多妻制社会の女性に対する冒涜だと思う。人の幸福は、その本人の中にしかなくて、それは慣習とか常識では量れないのだから。
実際の所、高校生編までは、ある意味(今の常識では)健全なラブコメを過ごせたという事が明確になっているのも、少し嬉しい。けれども、その後の大学社会人編以降は、もう彼女達も大人なのだか、こういった少し重いドラマを演じていたかも知れないと思えると、逆にその方が安心する。やはり、リア充は重いのよ。軽いダメオタが指摘する事じゃないけどw。
ということで、千雨がハーレムスポンサーになったおかげで、ネギの周りにはハーレム候補が沢山いて、その本願を果たしたと考えても、なんの不思議も無いし、彼女達が不幸だとも思えない。
それは幸せの形だったと信じたい。
だから最低でも、一度はふられたのにネギの近くに居るのどかと夕映、アキラと亜子、いつも会いに行っているまき絵とくー老師辺りは、想いを遂げたのではないかと考えている。あ、もちろん茶々丸もね(つーか彼女はもう成就済みだけどw)。
逆に、あやかなどは、ネギの計画のためもあり、本人にとっても幸福で平凡な政略結婚をしたのではないかなあ。これは、すぐ隣にいる明日菜の事もある程度意識して。
そして明日菜は、ネギと同じ様に自身の不老不死を復活させて、皆が去った後に、ネギと共に世界を見守り続けたとか。この二人は、ある意味人類の守護神として、恋愛を超えた精神的なつながりを持ち続けたと考えると、ぐっと来る。
それから木乃香と刹那。まあ、この二人の結婚はめでたい事なのだけれども(確定済みw)、彼女達の子孫がどうやって出来たのかは、少し考慮の余地がある。まあ、魔法科学の技術革新によって、卵子同士で子供が作れるようになっても全然不思議じゃないので(今の科学でもある程度は出来るし)、それでも充分なのだけれども、二人とも結構歪んでいるwから、ネギを基点とした関係を望んだかもしれないとか、ドロドロした事を考えたりしてw。
・・・
あれ、とんでもない長文になっているぞw。
軽く書くつもりだったのに、妄想を駄々漏れさせると、酷い事になるなあ。
まあ、大体このあたりを基点にして(SF要素ではもう少し複雑な設定が沢山あるのだけれども)、私的「続ネギま」世界を頭の中で構築中w。
ネギまには、まだまだ楽しませてもらえそうだ。