ネギのお茶会 ルポ 番外 「生ネギまとは何だったのか」

さて、やっと本題「生ネギま」について語りたい。「お茶会」は色々と刺激的なイベントだったのだが、それもやはりこの討論会が核を占めていたからだろう。
けれども、色々と考えが渦巻いて、なかなかまとめきれていない。そんな中、議題の中身を検討する前に、一寸だけ書いておきたいことがある。これはある意味読まなくてもよい事なので、番外としておこう。

  • 議題はどう取り扱われたか

「生ネギま」は、パネラーの6人が登壇し、議題について先生から色々と聞かれるような展開だった。
赤松健から出された議題は三つ。

  1. 「萌え」か「バトル」か
  2. 減ページがよいか、休載がよいか
  3. 作品に対する希望はあるか

この三つの議題、実はほとんど繋がっている。というか、先生の質問が、全ての議題に同じ方向性を持たせていた。
ページ数を減らすと、読み応えが無くなる。その際、情報量の少ないバトルものでは読者を満足させられないかもしれない。
では、細かい萌系ではどうか。アンケートで良い数字の出た回があるが、それが続いた時、コアなファンはともかく、一般のライトファンは退屈してしまうのではないか。
とはいえ、休載を増やしてバトルものをするとしても、休載は読者の勢いを削ぐので、ライトファンへのアピールが損なわれるだろう・・・
と、言うように、連載形態と萌バト問題は綿密に関係しているという事が分かってくる。つまり、ここでの議論は唯一つ、ネギまの方向性を問う場だったといえるだろう。

  • 討論では何が起こっていたか

で、この討論会を見ていて分かったのが、司会者である赤松健が、あきらにか「結論を求めていない」という事。
先生のやっていた事はただ二つ。一つは意見を引き出す事。そしてもう一つはその意見に反証をぶつける事。典型的なマッチポンプ型司会者だ。議論は明確な着地点を持たず、無限にスパイラルしていく。
その場で起きていた事を簡単にまとめてみると、

  1. コアなファンとして望む事が意見として出される。
  2. ライトファンが望まないというアンケート結果からの意見。
  3. ライトファンも含めた統合的意見を検討する。
  4. 統合的意見にも予想に反する意外なアンケート結果の反証。
  5. コアなファンとして望む事が意見として出される。

・・・繰り返し。
少し簡単にまとめすぎてはいるが、まあ、こんな感じ。
実際の所、この議論は実にアンフェアーな状況で行われていると言えるだろう。
なぜならば、ここで最も正解に近づけるであろう詳細データを握っているのは、司会者である赤松健ただ一人だから。コアなファン代表であるパネラーさん達は、アンケート結果による、各話の人気度、その年齢層、雑誌の販売部数、またグッズの売り上げ状況、その購買層等を正確には知らないのだから。それでいて、暗に求められているのが、一般のファンまでも巻き込んで、今回のODA企画を成功させるような今後のネギまに最適の展開。どう考えても、分の無い戦いだ。
結局、ネギまの最適な展開を検討するという事は、この場にいないライトな一般のファンも含めたデータを検討しなければならないはずであり、その一般ファンの心理・傾向などのデータは、この場にいる者達には手に入れようも無いのだ。赤松健は、その事を充分承知の上で、場を翻弄していた様にも思えた。
それでは一体、この討論は、本当は何を目的としていたのだろうか。

この討論会の真の目的、それはおそらく三つある。
1つ目は、連帯感の構築。
この討論会に参加し、ネギまの今後の展開について原作者も交えて検討するという事は、コアなファンにとって何よりも嬉しい事。この討論会への参加により、ネギまという作品との連帯感はより強まったといえる。つまり、この討論会の結論に意味があるのではなく、この討論会そのモノに意味があったといえる。
2つ目は、ニーズ聴取。
少数派であるコアなファンであろうとも、そのニーズを生で確認しておく事は重要だろう。場合によっては、彼らが他の多くのファンを引っ張っていく事も有りうるのだから、その影響力は当然考慮すべき。
3つ目は、宣伝効果。
参加者の多くがブロガーであり、彼らが一斉に、何時もと毛色の違ったネギまの記事を熱っぽく語るという事は、それなりの宣伝効果を発揮するだろう。
・・・
こんなところか。
早い話、赤松健という人に、「いいように乗せられた」感がしないでもないw。
とは言え、別に不快に思っているわけでもない。これは赤松健にとっても、一種の真剣勝負だと思うから。
こんな事を言うのは非常におこがましいが、作家にとってもっとも怖いのは、結局「ファン」だと思う。作家が物を売るというのは、結局「ファン」をどう扱うかという事だろう。物を売るという真剣勝負の場において、ファンとの付き合いは、同様に真剣なもののはずだ。
それに対し、ファンとしては実に気軽に、自分勝手に赤松健の事を慕っている。もう、サインとか貰っちゃったり。(速攻で貰いに行っちゃったw)
それならば、いくらでも乗せられるのがコアなファンというものだろう。赤松健がこの議題を検討して欲しいと望むのならば、やはり、充分検討を尽くすのが、ファンの心意気というものだ。
次回から、やっと本題に入るw。