魔法先生ネギま! 魔法世界編完結まで

映画の感想を書きたいのだけれども、やはりその前に原作のここまでの感想を書いておく必要があるだろう。
結局、魔法世界編最大のポイントとなったのは、始まりの魔法使いは何者かという事だったわけだが、まあ、実際には究極の敵ではあるものの、遥か過去の人物なので「ネギの物語」にとっては「どうでもよい」人物のはず。
で、物語的には「単に倒すべき悪」程度の存在にしかなりえない。・・・のだが、それでは面白くないから、赤松健的には究極的なテコ入れをするだろうと、誰もが思う。
そしてでた結論が、究極の敵=究極の目標。つまりネギの父ナギである事は、まあ、ここ最近の展開からも、明らかになっていたというわけだ。ここで違っていれば、逆に拍子抜けしてしまう。
ほぼ間違いの無い根拠を出してから(2009/8/3記事「世界の敵は、ネギの父」参照)二年以上も経ってしまうというのもなんなのだが、まあ、究極的なテコ入れなのだから、ここまで引っ張った先生の手腕の方こそ讃えるべきだろう。
この種明かしの後、すぐに魔法世界編を締めくくったのは少し急ぎすぎでは、とも思ったのだけれども、この真実にネギが出会うことこそが魔法世界編の目的だったと考えれば、まあ納得の行く展開ではある。あまりだらっとするよりも、この新たな謎を受けて、ネギがどう動くのかが物語の焦点なのだし。
で、こうなって、始まりの魔法使い=ナギの謎が判明した上で、今、ネギまという物語で何が問題になっているのか、という事なのだけれども、・・・実はこれが良く分らない。
初代?始まりの魔法使いはナギに言った。「武闘派の英雄であるお前には出来ないけれども、創造的英雄ならば出来るかも」的な事を。つまり、ネギは始まりの魔法いにとっても、待ちに待っていた救世主なのでは無いか、という事になる。
手先であるフェイトが、自分の判断で行動規範を変えることが難しくて戦闘になる、というのは理解できる。しかし、始まりの魔法使いは、言ってみれば会社の社長だ。彼自身に物事の決定権が存在し、自身が数千年にも渡って待ち続けた救世主が現れたとすれば、それを受け入れるかどうかの判断を、すぐにでもしなくてはならないはず。ナギに行動を乗っ取られて「殺しに来い」とか言っている場合では無いのではないかと思える。
「始まりの魔法使いは敵」という印象が強いので、この一時的に意識を取り戻した?ナギのセリフと思われる「殺しに来い」という言葉はありえそうにも思えるが、実際にはかなり謎な言葉と言えるだろう。
とは言え、このセリフの意味として、推測出来る事はそう多くは無い。つまり、ネギの「魔法世界再生計画」的なものがこの後実行される事になるのだろうが、その計画の成否は、ネギも知らない要素「始まりの魔法使いの死」がどうしても係わっている、という設定くらいだろう。魔法世界は、どうやら始まりの魔法使いの力によって誕生したようだから、そのくらいの設定があっても不思議ではない。そこで、この後の展開では、ネギが父親の命を奪うか、魔法世界を救う本当の救世主になるかの、最後の葛藤が描かれるのではないかと推測出来る。
いや、もちろんもっと別の展開をさせようとすれば、いくらでも出来ると思うのだが、ここまで来ると、王道を突き進まなければ、物語の勢いが奪われそうで、どう考えてもこの流れが妥当と思わずにはいられない。
そういった意味では、ネギまの大掛かりな設定の種明かしについては、若干興味が薄れているので、ちょうどよい機会なのだから、のんびりしたクラスメイト編を少しでも多く取り戻してやって欲しいというのが、今後の展開への希望だったりする。
結構長文になってしまったので、映画の感想については、また今度。

DVD付き初回限定版 魔法先生ネギま!(36) (講談社キャラクターズA)

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