[イベント]コミケ70 3日目 「光あれ!」とハルヒは言った。

今日は、メインとも言える男子向けの日。
なんといっても驚いたのが、ハルヒ本の多い事。見渡す限りハルヒハルヒハルヒハルヒ
これほどの大きな流れは、やはりエヴァ以来ではないか、と思えるほど。まあ、エヴァの時はコミケの規模自体が膨れ上がる程のエネルギーであったはずだが。ただ、今年の3日目は昨年より活気付いていたようにも思える。これもハルヒの影響があったからに違いない。
しかし、それにしても、どうしてここまで「涼宮ハルヒの憂鬱」は世間に受け入れられたのだろうか。
ここまで勢いがあると思うと、ただ単に作品の出来がよかった、とか、企業宣伝が一寸上手かったので話題になった、とかでは説明できないと思う。古いオタクなどは、昔の作品の焼き直しだ、とか、京アニの技術以外特別な部分などない、とか言って否定したがるが、やはりこの作品には何か特別な力があるように思う。それは、この作品が生まれた頃に騒がれた「セカイ系」の文法に乗っているから、とかの曖昧な理由では無いだろう。(それならばシャナでも良かったはず)それ以上にもっと、ハルヒの世界観の中で世間の雰囲気が求める部分があるに違いない。
エヴァの時はエンターティメントから発して、自分探しとかの、より思考的深みに入っていくのが斬新だった。対してハルヒは同じエンターティメントから発して、キョンのモノノーグに代表される、客観的、諦観的な、無責任な世界を約束してくれる。
これは90年代を戦ってきた至高を追求するオタクにとっては忌むべき思考かもしれない。けれども高度に情報化された社会に生まれた者にとっては、追求する前からその限界がわかってしまうもの。自分のいるこのつまらない世界が、いっそ「女の子の夢」であるならばよっぽどマシ、という思考が働くのも判る気がする。そういう意味では、ハルヒは「光あれ!」というより、「えーじゃないか、えーじゃないか」と唱えているのかもしれない。
これからの作品は、「この世界はつまらないもの」である事を理解した上で(というかそう思っている者に対して)、その世界に何か意味を与える作品が受けるのかな。