「地獄巡り」としての未来

そしてもう一つ、今までの様々な描写が積み重なり、成就しようとしているものがある。それは「ネギの成長」。
ネギはここに至るまでに実に大きな問題を抱えることになった。
超を止める事が正しいのか、間違っているのか。
その戦いにクラスメイト達を巻き込むべきか、そうではないのか。
この二つの問題は、根本では一つにつながっている。それは「人に迷惑をかける事があろうとも自分の意志を貫くべきか」ということ。つまり「自分が悪になる事を恐れずにいられるか」という事にもつながる。これは正に以前エヴァがネギに求めた事だ。
ネギは超の罠にはまり、1週間後の未来に飛ばされた。そしてそこで、決定的とも思える敗北感を味わった。
この1週間後の未来の描写、これがネギまという物語において一体どんな意味があるのだろうか。
一つにはネギ達が超の計画を倒す為の情報収集に役立ったという意味があるだろう。しかし、現在のネギの状態を見ると、それ以上の意味を読み取る事が出来る。
それはネギを絶望の奈落に落とす事。つまり「地獄巡り」をさせる事。
男子が主人公の成長物語において、よくこのような「地獄巡り」ともいえる描写が出てくる。「地獄巡り」、つまり主人公に苦難を与え、絶望させる。そして、その絶望から立ち直った時、主人公は大いなる力を得ている。
思い起こせば、ネギが捕らえられていた牢は地底120mにあり、そこには地獄の番犬ケルベロスまでが番をしていた。これは正に地獄その物の暗示だ。そのケルベロスと戦ったのはネギ自身では無いが、それはここではあまり問題にはならない。ネギの志と共に有るクラスメイト達は、ネギの分身といってもよいからだ。その心の分身達が地獄の番犬と戦い、その心の内に覚悟を決めていったという事は、ネギ本人にも伝わっていく。そして、ネギ自身も自らに覚悟を決める事を求め、それが、彼にとっては画期的な案を立案するまでに至る。
今、ネギがうなされているのは、多分、内面の変革から来る苦しみだろう。この眠りの中で、彼は今、変わろうとしているのかもしれない。
眠りから覚めた時、ネギにどのような変化が現れているか、気になるところだ。この事は、今はカモと朝倉だけが気付いているが、誰もが一目で気付くような変化が現れているような描写を期待したい。
「地獄巡り」は、一人の人物を描くにおいて、普通2回のチャンスがある。一つは「大人になる時」であり、もう一つは「伴侶を得る時」。
今回のネギの「地獄巡り」は、もちろん「大人になる時」。ネギまでは「伴侶を得る時」を描くのは最終局面になるのはほぼ間違いない。となれば、今回の「地獄巡り」は、「ネギの成長物語」としての「ネギま!」の中でも、重要なターニングポイントになるといってもよいだろう。