超に関する推理 その八 歴史改変の矛盾を解読する 〜第一部最終考察〜

「誰かの過去を知ることで 誰かのコトを理解できるなどとは思わぬコトダ
私を知りたければ 歴史の教科書を開くか 今夜のニュースでも聞け・・・」
by超鈴音
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こんな事を本人から言われてしまっては、それ以上の追求をするのは気が引ける。が、そんな言葉にもメゲナイ無粋者はいるもの。(ここに。)どうしても書きたくなってしまうのだ。とは言え、実際のところ本人については情報が制限されている事もあり、更なる推理は難しい。しかし、彼女の行おうとした歴史改変についてだけは、ここでまとめておきたい。

  • 1.時間遡行と歴史改変の矛盾

超は歴史改変を目的として現代に来た未来人である。彼女は懐中時計型小型タイムマシン「カシオペア」(3台の存在を確認)で過去に来て歴史改変を画策し、それをネギに阻止されて未来に戻ったようだ。ネギは、超からそのカシオペアを1台(壱号機)借り受け、学園祭の期間中何回も過去に遡り、学園祭の時間を何回も体験する事が出来た。しかし、そこに矛盾する描写がある。
ネギは学園祭中に何回も時間遡行をしているが、その行為で歴史を改変出来てはいない。彼が行った時間遡行は既に決定した歴史として彼が時間遡行をする前から決まっていた。(11巻90時間目中夜祭参照)しかし、同じカシオペアで時間遡行してきた超は、歴史改変をしようというのだ。
そこで、さらにおかしな事が起きる。ネギが超によって一週間後の未来に飛ばされ、そこからカシオペアで戻ってきた時、ネギ達は歴史を変える事に成功している。同じカシオペアを使った時間遡行のはずなのに、片方は歴史改変が起き、片方は起きなかった。これは、一体どういう事なのか。

  • 2.一つの仮説について

ところで、この矛盾を解く一つの仮説がある。それは、ピアノ・ファイアのいずみのさんが唱えた『歴史改変は「一度タイムマシンで未来に行って、戻ってきた」時だけに行える』というもの。
http://d.hatena.ne.jp/izumino/20061018/p1
この説は無視出来ないほどに秀逸なので、失礼してここで取り上げさせてもらう。ネギま!に描写された上記の矛盾をほぼに完全に解決してしまう上、超の「1988年生まれ」というプロフィールとの辻褄もあってしまう。不可能事に一つの制限を加える事によってそれが可能になるという、物語のレトリックとしても実に受け入れやすい。
しかし私はこの説をどうしても受け入れる事が出来ない。(取り上げといてすみません。思いっきり否定します。しかし取り上げる理由があります。それについては後述。)
というのも、この説を受け入れて物語を展開していくと、更なる矛盾が発生してしまうほど、この説は非科学的だからだ。いや、非科学的というのであれば、時間遡行の歴史改変自体が非科学的である事は重々承知している。要は、矛盾点をすり合わせていって受け入れられるほどの事象に落としこんで行けるほどの非科学性か、明らかにバランスを欠いた非科学性か、という事である。
この説のキモは、「未来に飛んで過去に遡った者は歴史改変できるが、単に過去に遡った者は歴史改変出来ない」という事である。これはどういう意味かというと、「未来に飛んだ者は、他の存在よりも特異な力を持っている」ということになる。「未来に飛ぶ」という行為がどれほど特異な方法で行われたとしても、この事実は受け入れ難い。「未来に飛ぶ」行為が時空に影響を及ぼす特異な行為だとして、単に「過去に遡る」行為がそうならない、とするのは明らかにバランスを欠いている。また、実際に「未来に進む」行為だけは現代科学でも実現可能であり、その結果の過去の物質と現在の物質には、なんら違いは無い(はずだ)。物語としても、例えば「過去の人間が未来に飛んで、未来人に『情報だけ伝えて』未来人が過去に戻って歴史改変しようとしたら、どうなるのか」とか、「未来に飛んだ人間が未来人との間に子供を産んで子孫をつくったらどうなるのか」などの頭を悩ます新たな問題が、元から存在するタイムパラドックスに加えてさらに続出してしまう。実は全然タイムパラドックスの解決にはなっていないのだ。
時間遡行による歴史改変という「時空」に関する問題において、「未来のものが過去にある」という「時空上の現象」では無く、「未来に来た過去のもの」という「物質」に根拠が集約してしまうこの説は、どうしても説してバランスを欠き、受け入れがたい部分があると言えるだろう。結局、「歴史改変の不可能性は時間の不可逆性によるもの」という当たり前の事実とかけ離れた説は、どう説明をつけてもなかなか受け入れ難いという所だろうか。

  • 3.超の呪文は何か

とは言え、ネギの行った歴史改変があり、それの矛盾を説明しなければならない。
そこで気になってくるのが、超の行った事である。超はカシオペアで未来から過去に来た。その事自体は、ネギの最初の頃の時間遡行がそうであったように、歴史に影響を与えない事は彼女自身も知っていたはずである。それなのに彼女は歴史改変をしに来たという。それならば、当然彼女は歴史改変を可能にする方法を知っていたはずであり、実際の行動を起こした際、なんらかのアクションをしたはずだ。
そして、それとおぼしき描写が存在する。それが、認識魔法を発動させる際、一番最初にハカセが唱えた呪文だ。この呪文は17巻の解説によると「ヘルメス文書」からの引用らしいが、一体どのような目的で唱えられたのかは明確にはされていない。(あきらかに解説をぼかしている。)しかし、その呪文中には、時間の概念が2種類登場しており、これが歴史改変の矛盾に係わると推測することも出来る。つまり、超はこの呪文を唱える事により、未来人が本来出来ない歴史改変を可能にしたのではないだろうか。この呪文は世界12個所の聖地及び月と同期する大魔法だった。世界12個所の聖地は世界中に認識魔法をかけることからも理解できるが、何故月との同期が必要なのだろうか。月は人の時間の概念と大きく係わっている。この呪文が世界全体の時空の概念そのものを変える魔法でもあることから、月との同期も必要だったのではないだろうか。そうして、実際にネギが行った1週間後の世界は、このハカセの唱えた呪文により本来の時空がゆがめられ、超によって歴史改変された世界になっていたのではないかと推測する。

  • 4.矛盾の解決

上記の様に仮定した際、最初に取り上げたネギの歴史改変の矛盾に、一つの突破口が見えてくる。それは、いずみのさんの仮説の考え方と非常によく似ている。(それなので取り上げる必要があった。)
ネギは超によって1週間後の未来に飛ばされた。そして、そこから帰ってきて行動した事が歴史改変になった。問題は「飛ばされた一週間の期間に何があったか」ということだ。
超の呪文によって世界の時空が変容していた。そして、時間を飛んでいたネギ達はその時空変容の影響を受けていない。
未来に飛ぶことで、時間旅行者が特異な存在になったのでは無く、「世界そのもの」が特異に変質し、時間旅行者が取り残されたのだ。
この「世界そのもの」の時空の変質がどのような性格のものかは分からない。(仮定上の話なので当然だが(^^;)しかし、その影響を受けなかったネギ達という存在が、単に過去に遡った未来人以上に異質な存在であったと想像することは出来る。「世界そのものから」切り離されている存在になった彼らは、単なる「物質」というよりも、特異な「時空上の現象」ともいえる。そして改変された未来の改変された情報を持って過去に遡る。そんな彼らが歴史改変を行えたとしても、なんら不思議ではないだろう。
ちなみに、ネギ達が1週間後から学園際最終日に戻る際、ネギ自身は小刻みに過去に戻ろうとしたが、それがならず、一気に戻ってしまった。それは時空上特異な存在となったネギが同じく特異な存在となった「世界そのもの」の時間に戻る事を許されず、ネギの魔力の限りの跳躍を余儀なくされ、特異な存在になっていない世界、つまりハカセが呪文を唱える前の世界に放り出されたと解釈する事も出来る。

  • 5.未来への影響

さて、上記の解釈で矛盾が解決したとして、超の歴史改変計画が未来にどの様な影響を残したのか考えてみる。
まず、超の計画の内、実行した部分はそのまま歴史改変になっただろう。認識魔法は発動したが、それは「世界平和」であった。結局、麻帆良一体の局地的なものに抑えられたが、これが未来に若干良い影響を与える可能性があるだろう。(勿論、逆の可能性もある。)
それ以外にもう一つ、「ネギ達が1週間後の未来で得た経験」も、元々の歴史には無かった事として、歴史改変に組みこまれているだろう。
「案ずるな ネギ坊主 私の望みは既に達せられた」
by超鈴音
超の目的は歴史の改変だ。彼女のこのナゾな言葉の意味も、この「特異な未来の経験」を持つネギとの会話の中に、それを解くカギがあるのだろう。
超の行おうとした計画は世界を変えるほどの大計画だった。ならば、ネギも世界を変えるほどの活躍をして、未来の超を救う事になるのではないだろうか。
ネギの今後の大活躍は、未来人である超の言葉より、「予め決定した事実」なのかも知れない。
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これをもって「超に関する推理について」は一時筆を置く。
また再開できる時を願って・・・