ネギま!ビッグバン 〜ネギま!との出会い〜

最近、181時間目最後のページのネギのセリフにこだわって色々と文を書いている。実はこれには一寸した理由がある。というのも、このセリフこそ私がネギま!に最初にはまったシーンと大いに関係があるからだ。これを説明するために、非常に手前勝手な事ながら、私のネギま!との「出会い」について語ってしまおう。(自己満足の長文なのでご注意ください。w)
赤松健の漫画は「ネギま!」以前も結構好きで、「AIとま」も1回目の雑誌掲載から読んでいたし、「ラブひな」も楽しく読んでいた。けれども、基本的には単行本が出たら読む程度で、どちらの作品も「はまっている」と言えるほどではなかった。(だから、真の赤松健ファンに比べると相当「薄い」と思う。)「ネギま!」に関しても最初はそんな感じだった。単行本が出たら一応チェックする程度だったと思う。
ところが、ある時「ネギま!」への見方を大きく変えるシーンに出会った。忘れもしない、場末のカレー屋で先週号の古いマガジンを昼飯を食べながら読んでいた時、そのシーンが目に入った。
それは39時間目において、ネギが魔法の戦闘の為にナギの戦いを思い出すシーン。ここでネギは戦闘のプロとの戦いを想定し、自分の知る本当の戦闘の記憶であるナギとの出会いの時を思い出し、それを実践に活用できないかと検討する。
スムーズな流れなのだが、ここでとても気になったことがある。それは、ネギがこの記憶を思い出す際、ほんの少し躊躇しているかのようなコマが挿入されているのだ。
この小さなコマを見た時、私の「ネギま!」に対する見方が180度転換したと言ってよいかもしれない。
それまでにも「ネギま!」には結構面白い設定が登場していた。それは明日菜の「魔法無効化能力」。それは彼女の生い立ちやオッドアイなどと絡めて、かなり深い物語が形成できそうであると思っていた。けれども、それを展開するには足りていないものが「ネギま!」にはあった。それは主人公ネギのキャラクター性。この時まではハリポタから借りてきた単純に真面目で優等生なキャラとしか見えなかったのだ。そんなキャラでは、深い設定を背負いきる事は出来ない。
しかし、この39時間目のこのシーンを見たとき、それが間違いである事に気付いた。
このシーン、ネギは過去の記憶を思い起こす為にひどく神妙な顔をし、明らかに躊躇している様子が伺える。それは、ネギにとって父親ナギの記憶は単純に「憧れ」だけの明るい記憶ではないと言う事を意味している。そこには、この記憶がネギにとって辛い経験でもあることを読み取ることが出来るのだ。(実際のところ、これは4話におけるネギの一瞬の回想シーンでも読み取る事が出来る事だった。)つまり、ネギの原動力は単純に父への憧れではなく、もっと暗い情念ではないか、いや、そうに違いない、と確信したのだ。
この確信を得た時、私の中で「ネギま!」の世界が一気に広がった。その辛い記憶が彼の原動力であるのならば、ネギは深い設定を背負う事の出来る主人公になりえる。そして、今までに提示されてきたクラスメイトの設定なども含め、それらが絡み合い、ありとあらゆる妄想が駆け巡った。これは正に「ビッグバン」といっても良いほどだった。
これ以降、私はネギま!に深くはまり込んだ。掲載作品のために週刊誌を定期購読したのも、ネギま!が初めてだった。(その証拠に40号以降の「ネギま!」の切り抜きが手元にあるw。)そして、今ではブログで駄文を垂れ流すほどにもなっている。つまり、この時の妄想こそ今私が書いているネギまに関する駄文の原点と言ってよい。このシーンに関する確信が間違っていれば、「ネギま!」に対して感じてる楽しさの大半を失ってしまう程重要な部分なのだ。
実際のところ、この確信=妄想は66時間目の村の記憶の描写によって既にほぼ確定はされてはいる。しかし、必ずしもネギ自身がそれをしっかりと把握しているかという事について、未だ描写されきっていない事柄でもある。いや、この事については「ネギま!」のストーリーの根幹に関わる最も重要な部分なので、この後もじっくりと時間をかけて丁寧に描いていくであろうと想像される。
そして、181時間目において、またそれが「ほんの少しだけ」進展したという事だろう。しかし、私にとってはとても重大な事なので書かずにはいられない。これからも、この部分については拘っていきたく思う。
そして、「ネギま!」について未だ奥深い物語として楽しませてもらっている訳だ。