魔法先生ネギま! 190時間目 エネルギー充填120%

茶々丸の表情が、激増してる・・・。
とまどったり、怒ったり、慈しんだり、慌てたり。もう、それを見るだけで幸せな気分になれる回。
茶々丸に心があるらしい、という事は最初の頃から提示されていたけれども、それに伴う感情の表れなどは、ロボットゆえに完全に制限されていた。茶々丸の心が、人と関わりを持ち、ネギへの特別な感情を徐々に芽生えさせていったとしても、表情は変わらないままだった。それはある意味、とても厳しい「心の牢獄」に閉じ込められているようなものだろう。
しかし、今回の技術革新によって、茶々丸の顔に表情が溢れ出す。オーバーホールからこっち結構な時間が経っているのに、茶々丸の表情の変化に気付く事ができなかったのは、茶々丸自身が以前の「牢獄」に慣れすぎてしまっているからだろう。けれども、ネギとのランデブーという、嬉しすぎる状況下にあって、親にも等しいエヴァの言葉通り「素直に」している事で、その表情は、今までに無いものを次々と獲得していく。
正に、心が開放されていく瞬間だ。今、茶々丸というキャラクターの内なる心は、自分自身では気付いていないほどの「幸福」に満たされているだろう。こういうシーンを見るのは、実に心地よい。
魔力切れにより、ネギに「ゼンマイ巻き」をされてしまうシーンでは、明らかに性的な快楽を得ているだろう。魔力の受け渡しには、元々そういう作用があるようだ。これは確かに茶々丸にとって嬉しすぎる行為だろう。
しかし、それは単に「快楽」でしかない。もちろん、嬉しいは嬉しいだろうが、茶々丸にとって一番嬉しいのは、ネギを見守り、励まし、その力となっている、この状況そのもの。そして、その喜びを表情としてネギに伝える事ができる事、そのものに違いない。
自ら一歩踏み出し、「大丈夫です ネギ先生 みんなきっと無事ですよ」と力強くネギの手を握る茶々丸は、今までとはまったく違う。新しく生まれ変わった茶々丸がそこにいる。
・・・細々した点にも目を向けてみよう。
ネギが立った後にエヴァについていた茶々丸似は、茶々丸コピーだったようだ。外に出れないと言う事は魔法で自立していないと言う事で(別荘内は若干魔力が充満しているようだ)、やはりそれは茶々丸とは似て非なる物なのだろう。
茶々丸のジェットなどは魔力を使っているらしい。また、「ゼンマイ巻き」もやはり魔力を注入する意味が強いようだ。そして、両腕の武器の換装。これは科学の力によるものなのだろうか。茶々丸が魔力を活用している事を考えると、これも「アデアット」と同じ魔法のアポーツのようなものなのかもしれない。電磁転送とか、物質構造変換とかの超科学なども考えられるが、この場合、それよりも魔法の方がより「実現性」が有りそうwな気がする。つまり、茶々丸は一寸した魔法使いと考えても良いのかも。魔法と科学の双方を利用し、両者の利点を生かしているのだから、それは確かにへたれたてるネギよりも強いに違いない。もしかするとクラスメイト強さランキングに食い込んで来ているかも。
魔法世界は面積が地球の1/3程度とされている事と、魔法生物が住む事以外は、かなり地球に似ているようだ。夜には空に星があり、太陽の運行も地球におけるものと同じようだ。これはかなり不思議な事だろう。現在位置を確認できる星の存在が認められている時点で、天体現象は天然のものであるとしか考えられない。つまり、この魔法世界は地球よりも小さな、それでいて表面重力が同程度の惑星、つまり別の天体である可能性があるのだ。
魔法世界が地球とは別の天体だとすれば、それはもう単純に「魔法的なもの」と片付けることは出来ないだろう。例えば、地球から何光年も離れた惑星を「異世界」として利用している可能性もある。
そんな世界と、単に「偶然ゲートが繋がっていた」、とは思えない。この二つの天体には、もっと現実的な繋がりがあるはずだろう。例えば、宇宙旅行によって発見した惑星とか、テラフォーミングして得た惑星とか、もうSF的な発想をする必要がある。人類の起源などとも関連してくるかもしれない。
なんだか壮大かつ無茶苦茶な空想がいくらでも浮かんでくる。
ずーっと以前書いた「与太話」の内の一部分(図書館島について)も、案外現実味を帯びてくるかも。w

図書館島内の描写を基にした、「図書館島は太古の宇宙船」「魔法使いの祖先が宇宙人だった」というトンデモ推理。当然、自分でもカケラも信じていないが、好きな推理。ネギま!第2部は、宇宙冒険にしてくれないかなあ。「宇宙戦艦ネギマ」とか。(^^)実際には、図書館島は魔法世界の魔界王城の開かずの扉とつながっているのではないかと、推測していたりして。

(2007/2/8日記)
また、本当に広大な魔法世界を設定したのだし、ぜひ「あの企画」を今度こそ発動させて欲しいなあ。