その道は、戻れない道

自分の書いた文に対して戴いた反応について、改めて文を書き起こすのはあまり好きではないのだが(面倒なので)、どうしても言い足りていない事があるようなので、あえて書いてみる。
まず、コメント欄で何度も言っているように、今の「ネギま!」を見て辛いと思っているが、その辛さは充分楽しんでいる、と言う事。
けれども、その中でどうしても嫌悪感を感じてしまっている部分がある。それはエロ描写について。その事を、もう少し具体的に表現しないといけないようだ。
ネギま!は、ライトエロを売り物にしている。これは誰もが認める事だろう。その為に、物語の中では、クラスメイト達は犬も歩けば棒に当たるかのように、常にパンチラのようなライトながらもエロい事をされるよう、物語が出来ている。いってみれば、「エロ補正」がかかっているわけだ。この「エロ補正」は、「ネギま!」に元々備わっている現実からかけ離れたファンタジーな部分と言えるだろう。
そんな「エロ補正」のかかった作品に、「現実的な世界観」という名目の元、現実的なエロ描写を絡めたらどうなるのか?それは立派な「エロ漫画」が出来上がるw。多くのエロ同人誌もそのような方法で作られているだろう。
もしかしたら、この「エロ補正」の事を忘れている人が多いのではないだろうか? 今回のエロ描写に過剰なエロを感じない人は、多分この「エロ補正」を、意図的に、もしくは無意識に忘れた振りをしているのだろうと思われる。
当然のことながら、「ネギま!」はエロ漫画ではない。作者の中では、おそらくこの作品の特性そのものが変わっているのだろう。現実的な展開に入ったのだから、そこでは「エロ補正」もある程度自粛しますよ、と。「そのように読んでください」と思っているに違いない。
けれども、今まで「ネギま!」を読んで来て、その特性を肌で感じ、体に慣らしている人間にとってはそうは行かない。今までの「エロ補正」のかかった連想が先に行ってしまうのだ。
今の展開で、「ネギま!」をエロ漫画の様に読まないようにするには、「エロでは甘い世界観の中で最大限エロい描写がされる」から「エロでキツイ世界観の中でも一線を越えるようなエロ描写はしない」というモード変更を、読者が認識してついていかねばならないだろう。
ただ、このモード変更は、物語上明確に表明されているわけではないから、当然、当面の間は生理的な軋轢が生じる。素直に読もうとすればするほど、エロ漫画を読まされているような気分になり、嫌悪を呼ぶのだ。おそらく、嫌悪感を回避している人は、「そんな事、少年漫画で出来るわけ無いじゃん」とか、物語上とは別の視点の(メタ的な)判断をしているのだろう。(最初からエロ漫画が読みたいという人は問題外w)それは、ある意味「不純な読み方」ではないだろうか。
その事を、単純に、素直に物語を楽しみたい者として表現したかった。
・・・
しかし、この嫌悪感は、ある程度作者も承知の上で描いているであろう、とも思っている。
以前から、赤松健はこれからの漫画における「萌えかエロか」を、真剣に悩んでいた気配があった。
もしかしたら、このモード変更はその最初の実験なのかもしれない。色々と試してみて、時代にあった漫画の雰囲気を模索するのも、長期連載漫画の宿命だからだ。
それに、「ネギま!」は少しずつハードな展開を見せている。その展開とエロを両立させる手段として、避ける事が出来ないという判断もあったのだろう。
けれども、こうも思う。この様なモード変更をして、後戻りが出来るのだろうか、と。
もう一度、平穏な学園生活に戻ったとして、以前と同じようなライトエロ描写がされたとして、読者は本当に今までと同じように楽しむ事が出来るのだろうか。
おそらくは無理だろう、と思う。「ネギま!」という物語は「真実」を知ってしまい、無知だった過去に戻る事は出来ない。このモード変更は、後戻りのきかない一方通行だろう。
クラスメイトにパンチラとかをさせて喜ばせようとするシーンが来たとして、読者の方では何がしかの「わだかまり」も一緒に感じてしまうかもしれない。
それは、とても寂しい事のように思う。それもまた、辛い事なのだ。