電撃15年祭 二日目 幕張メッセ

今日は、ほんの少しだけゆっくりと到着。入場整理も、昨日の失敗を生かしてか、なんとか混乱無く進んでいたようだった。その為、それほどのストレスも無く会場入りでき、予定していた行動を全てこなす事が出来た。つーか、今日の予定は三つのステージイベントを見ることだけだったのだが。ゆっくり入場したので当然全ての整理券は終了。外から眺める事に。けど、目的が絞られているから、少し前から張り付いていれば、結構良いポジションで見る事が可能だった。

この前の神谷浩史小野大輔のイベントから見学。小野大輔がかっ飛ばしていて、女子から「きもーい」とか言われて喜ばれているのを、こっちも楽しんで観てみたり。
乃木坂春香の秘密」は当然、能登麻美子目当て。何故かジェネオンの川瀬Pが司会をやっている・・・って、完全にアニメ化決定フラグw。けれども、その発表はイベントの最後に予定されいたようで、発表前は一体何を話してよいのやら、と言った雰囲気に。
結局、ヒロインである能登麻美子を崇め、ほめ殺しにするという妙なテンションのまま、イベントが進行。能登麻美子も、そういった「弄り」に対して何時までも耐性が無いから、妙に硬い雰囲気のままでイベントが終わってしまった感がある。妹役で登場の後藤麻衣も、なかなかノリが良いので普通に付き合ってしまい、逆に収集がつかない感じになっていたような。
能登を愛でる」という趣旨が本当ならば、彼女を弄るのは逆効果。彼女には常にゆったりしてもらって、その「普通の」彼女の声を聞くべき。川瀬Pには、能登麻美子の普通の生喋り声が、無理な盛り上げトークより「何十倍も」価値があるという事を認識していて欲しかった。生セリフとか、役を演じる上での心境とかも特に語られる事も無く、作品の内容すらまともに紹介してなかったのではないだろうか。ほんと、猛省して欲しい。
能登分を補充にするに、若干消化不良のまま、次のステージに向かう事に。

今日絶対押さえるべきステージその一。
シャナの主要ヒロイン3人が揃うという、それこそめったに無いステージ。この三人、ツンデレの女王釘宮理恵、ヒロイン役獲得王川澄綾子、癒しボイスの女神能登麻美子という、そうそうたる面子。この三人の掛け合いが見られるだけでも来た甲斐がある。
最近の釘宮理恵はステージ上でも「デレ」分も見せたりして、普通にツンデレ声優として可愛く感じたり。そんなクギミーを、川澄綾子がイベントの流れを読んで、ちやほやする。そんな様子を後からおっとりとした表情で見守る能登麻美子・・・。あぁ、なんか怖いw。
その後、なんの脈略も無いのに川澄綾子が振り向いて、能登と目線を合わせて何度も頷くなど、目で会話している風なのが、印象的だったw。
イベントとしては、シャナの今後の展開とか結構色んな情報が出ていて、内容的にもかなり面白いものだったのだが、こちらとしては、舞台上の3人の遣り取りからいろいろとはらはらドキドキ妄想してしまって、それどころではなかったw。
いやあ、良い物を見た。

今日絶対押さえるべきステージその二。
もう、ある意味奇跡的としか言いようの無い復活イベント。一体何故今頃?
結論から言うと、DVD-BOX発売という事の他は、特にサプライズは無かった。というか、DVD-BOXもそれほど強くプッシュしている風でもなかったし、これはまったく「このイベント自体がサプライズ」という事だったようだ。商品展開も絶えて久しいこのコンテンツの復活イベントとしては、本当に「当時の栄光を賞賛する」という意味合いだけになっていたと言える。これは普通ならありえないイベントだろう。正に奇跡だ。
とは言え、これは「シスプリ」という作品の事を良く考えてみると、納得してしまえる事でもある。「メディアワークスシスプリによって稼げた…」とかの話もあるだろうが、そんな野暮な事は置いておこう。なにより、シスプリという「作品の意味」が、今になって振り返って考えてみると、あまりに巨大と思えるからだ。
今あるオタクブームが、10年前のエヴァの「大人も巻き込むほどのクオリティ」の提示によって、「アニメ文化は子供の物」という「概念の破壊」を成した事によって持続しているという事が出来る。けれども、それだけでは今日の「オタク」という言葉の意味のかなりの部分を占める「萌え」という要素を説明しきれない。
当時より萌え市場も過熱化の一途を辿っていたが、その一つの到達点が「シスプリ」だった。「妹を愛でる」という近親相姦的な倒錯性。それも対象となる妹が12人いるという非常識性。ちょうどこの頃ネット文化が成熟した事も重なった。この作品により、萌えオタはただ密やかに萌えキャラを楽しむ事から、より公然と「常識を逸脱した」萌えを愛でる事を始めたといえる。つまり「萌えの為なら常識を逸脱する」という「概念の破壊」がなされ、それが一つのオタクのステータスになって行った。ここで実は「萌えオタ」と「その他のオタク」という二分化がはっきりしたのだが、その事は世間の目には映らず、萌えオタ=オタクというイメージが世間に定着し、それはオタク=「別次元の価値観を持つ人種」というイメージにすらなった。
アキバがまるで「珍獣の住む街」の様な扱いで観光名所になったのも、シスプリがあったからと言っても良いだろう。いや、シスプリが無ければ別の作品が同じ事をやっていたかもしれないが、少なくとも、その通過点として、シスプリという「萌え」の金字塔があったという事だけは紛れも無い事実だ。
今回のこのシスプリステージは、シリーズ終了してから既に4年、あくまで単体として行われたものだと思うが、それは不思議なほどに違和感の無い物だった。例えば「単に声優だけを目当てで参加した」とか、普通に懐かしむだけのイベントで寂寥感が漂うとか、そういった雰囲気は無く、誰もがシスプリステージの事を純粋に喜び、楽しんでいたように思う。
シリーズが終了していても、今のオタクブームがある限り、シスプリはオタクの心の奥底に響き続けているのかもしれない。例え、シスプリという作品が今後も休止し続けても、5年後の電撃20年祭においては、シスプリステージがあってもなんら不思議ではない、いや、あるべきかもしれないとすら感じた。
・・・いや、ほんとお願いしますよ、メディアワークスさんw。
シスプリコンテンツ復活なら、さらに良し。