魔法先生ネギま! 204時間目 バカになれたら・・・

全編ギャグ話にして、実際には、かなりシリアスな物語の分岐点。

  • ネギ、究極の選択

闇を取るか、光をとるか。どちらかを選ばねばならない状況に陥っているように思える。けれども、ネギにとってこのような分岐点は今までにも何度かあった。そしてその時ネギはどうしたか(なったのか)。それは、分岐がどのような事を意味するのかを明確にして、実際にはその両方を取れる道を選んでいる。つまり、分岐の性質を明らかにした事により、どちらかに保留に出来る選択肢がある事を明確にしておくのだ。
分岐があるという事=片方しか選べない、とは限らない。スケジュールを組む事で両方を獲得する事も可能。ネギは、意識的にか無意識的にか、そのような「分岐の棚上げ」を、結構今までにもやってきている。緻密な事を好むネギらしい思考方法だ。今回も、最終的にはそのような方向に行くのだろう。
とは言え、今回はまず「闇」を受け入れるという、自らが望まない選択に繋がるのだろう。つまり、片方に時間をかけた「光の道」があり、もう片方で短期間の「闇の道」があるとして、今必要としているのは「即戦力」だ。自らの求めているものが「光の道」だとしても、それは後の目標として留めておき、今は「闇の道」を進まねばならない、という結論に辿りつきそうだ。二つの道を両方選択したいと願っても、片方を手に入れたことにより、もう片方に影響が出る事もある。もしこれで「闇」を手に入れたとして、ネギは後にどう感じる様になるのだろうか。

  • 「よく見てんな あんた」

千雨は、ネギの強さを求めるものを「罪悪感」「強迫観念」「逃避」と表現した。この感じ方は正しい。ネギに男としての強さを求める心があるとしても、その裏に過去の悲しい記憶からくる強い罪悪感が存在するのは、以前からの描写で明らかだ。
ネギ=ポジティブorネガティブ?(2007/7/13)
ネギの心 フローチャート(2007/7/14)
ただ、それをクラスメイトの立場で理解できるかどうかは別。千雨は、ネギの過去を人づてにしか聞いていない。それ以前に、ネギ自身が過去の事件の「本当の意味」を明日菜達に伝えているわけでもない。これはネギの様子を見て「感じる」しか無い事なのだ。
ラカンはネギの立場を「知っている」と思われるので、ネギの「メンドくせー」側面を把握しやすいだろう。達人としての感性もあるだろうし。
千雨はまだ、ネギのめんどくささを、今回のネギチームバラバラ事件だけが原因として捉えているようだ。彼女も、この事の根深さに何時か気付かされる事になるのだろう。

  • タカミチ達

どうやらラカンと連絡は取り合っていたようだ。タカミチ達がネギの行動に反応を示した様子が無いのにも合点がいく。おそらく、ラカンはネギの世話を請け負い、それでタカミチも安心してラカンに託したのだろう。その託した人間が、こんな「バカ」と理解していたかどうかはナゾだがw。

  • 禁呪

現象として現れた魔法を体に纏うのが「戦いの歌」だとすれば、魔法が術式段階で魔力そのものを纏うのが「術式兵装」と言った感じか。
「戦いの歌」が既に100%魔法の力を使っているのに対して、「術式兵装」はあくまで充填している状態。その「核心」は、おそらくその魔力を如何に活用していくか、という事なのだろう。充填した時点で相当なパワーアップになっているようだし、術式を開放した時の威力は、それを遥かに超えるものだろう。おそらく、取り扱いの柔軟性もあがっているはず。早い話、ハンドガンに装填された核弾頭といった所か。
ただ、なぜこれが「闇」に繋がるのかは、少し疑問。
魔法は魔力を使って特異な「現象」を起すものであり、その「現象」には様々なもの(光、風、雷、火、氷、水など)があるとして、その現象を引き起こす為の原動力「魔力」そのものが「闇」だという事なのか。
これは、ちょっと前に妄想した、魔法使いの原点に関する推測とリンクするのかもしれない。
ネギには「闇の眷属」の血が流れてる?(2008/2/16)
「魔力」とは、「魔法使い」とは一体なにものなのか。もしかしたら、その事も「ネギま!」の中で語られる事になるのかもしれない。