長谷川千雨は、逃げない。

  • 千雨の大活躍

長谷川千雨には、カウントダウンサスペンスが良く似合う。それは、やはり彼女が原作者赤松健の、一種分身的キャラクターであり、彼の締め切りに追われる日常を反映しているからなのかも知れないw。
という、冗談はさておき、「ネギま!」前回の大事件であるところの「超編」最終盤において、千雨は時間に急かされながらの大活躍をしている。この時の千雨の行動は、やもすると、主人公ネギ以上の功績であったかもしれないほどだ。
千雨は世界の救世主だったのか(2006/12/28)
そして、209時間目において、千雨は再度時間に追われながら重大な行動をしなければならなくなる。それは、麻帆良大戦時ににおいては、電脳戦を制して結界を復活「する」ための「行動」に対して、ネギの命を賭けた「闇の魔法」修行を継続「させない」かの「判断」という、正に対比した状況といえる。
ただ千雨にとって、今回の状況の方がよっぽど重い。麻帆良大戦時は、自分の利益の範囲内(世界の魔法化を防ぐ)での行動なのに対し、今回の判断は、ネギの魔法が、つまり人の人生が掛かってるから。
今回の描写は、ネギま!の中でも珍しいほどに、クラスメイトの一人である千雨を詳細に描いている。しかし、そこにはそれ相応の深い意味合いが込められているように思える。それを少しだけ分析してみたい。

  • 刻々と変わる「選択肢」

まず、ネギは強い力が欲しかった。その理由は、ネギの元からのエゴも有るが、なにより、この魔法世界に仲間達をバラバラに飛ばしたフェイトに対抗する為。この魔法世界にいる以上、彼に再度ぶつかる可能性は高いと思われ、その際に仲間を守る力が欲しいから。ネギが力を手に入れようとするのは、中間達の事を考えての事でもあった。千雨はというと、そんなネギの、本人の欲望と、仲間達を思う気持ち双方を理解していたと思われる。この時の選択は、ネギによる「闇の魔法と闇の道」「光の魔法と光の道」の選択。(203時間目)
そして、ラカンはネギに「闇の魔法」というものを提示する。それは「危険」ではあるが、爆発的な力を手に入れられるものだった。ただ、当初提示されたその「危険」は、人外的存在であるラカンの実演のみで、一体どのようなものか実感の無いものだった。ここで、「闇の魔法には強いリスクがある」「光の道を歩む」と、選択に厳しさが出てくる。(204時間目)
そんなネギの前に、その「闇の魔法」を選択をする為の魔法のスクロールが示される。その時、千雨はネギの心が指し示すであろう欲求を理解し、それを支持する助言をした。それが、一体どのような危険を孕んでいるのかも分からないまま。そして、その少し軽率な助言によって、手痛いしっぺ返しを食らう事になる。そのネギの開けたスクロールは、「力を得るか」「魔法か命を失うか」の極めて危険なものだったのだ。(205時間目)
ただ、この時の千雨は、まだ状況としては甘い位置にいた。千雨は、自分の半分無責任な助言をネギに対して与えてしまったが、それは「後悔するだけでよい」状況だからだ。そこに、ラカンが追い討ちをかける。ネギのスクロールの修行は、途中でやめさせることが出来る。その為のナイフをラカンは千雨に託したのだ。ただ、その中断のペナルティは大きい。「闇の魔法」が二度と習得出来なくなってしまうのだ。修行中のネギはスクロール内に精神を取り込まれて音信不通。この決断は千雨一人がしなければならない。この時、ネギの今後の人生が、千雨の手にゆだねられたと言っても良いだろう。ここで選択肢は、千雨による「ネギの命を保つか」と「ネギが強さを得るか」に変わってくる。(207時間目)
修行は当初、ネギに肉体的なダメージも与えていたが、それはラカンの傷薬と千雨の献身的な看護で回避することが出来たようだ。問題は、その修行にかかる時間。あまりに長引くと、ネギの精神が崩壊してしまう。そして、そのネギの精神がもつタイムリミットは、次の夜明けまで、とラカンに宣言されてしまう。つまり千雨は、タイムリミットまでに「ネギが心を失うか」「修行を断念するか」を選択しなければならない。(208時間目)
そして最終局面(209時間目)、さらに情報が提供される。それは修行を断念した際、後遺症で魔法が使えなくなる可能性が高いという事(実際には「何らかの後遺症」としか言ってないが、ここまで来て楽観は無意味。最悪の状況=魔法喪失を想定すべきであり、だからこそ千雨は「最悪」と言っているのだろう)。ここに至って千雨の選択は、ネギが時間内に修行を完成させなければ「ネギが心を失うか」「命だけ助かり、魔法も使えなくなるか」という究極の選択になってくる。
そんな中、千雨は宣言する。「信じるぜ 先生」「最後まで待つ」と。時が来るまでネギの事を信じ、ネギの命を託される立場を守る「現実」を受け入れると。

  • 千雨の決断

しかし、その一瞬後、決定的な変化が訪れる。それは、ラカンが宣言したタイムリミット「夜明け」が、日の光が現実のものとなって千雨の目に入る。それは正に、千雨にネギの「精神の死」の訪れを感じさせただろう。
実はこの時までに、千雨の、選択肢の双方の重さは大きく変わってきている。
千雨にとって、夜明けが来る前までは、「ネギを信じ続けて不安を受け入れるか」「ネギを信じず楽な選択肢に逃げるか」というものだったろう。しかし、タイムリミットの夜明け後は違う。「ネギの(精神の)死を受け入れるか」「魔法すらも失ったネギを受け入れるか」の選択になるからだ。
千雨がタイムリミット前に「逃げ」の選択肢を選んだ場合、それは千雨の心の弱さからくる千雨の責任となるだろう。しかしタイムリミット後の選択の場合はどうか。千雨が修行を中断せず死んだとすれば、そのネギの死は、この修行を選択したネギ自身の責任となるだろう。もちろん、最初に助言した千雨にも責任はあるが、それはあくまで付随的なものだ。
しかし、千雨が修行を中断させたとしたら、それはやはり彼女の行動の結果として、千雨の責任になるだろう。そして、その後に残るのは、命は助かったものの、「闇の魔法」は二度と習得できない、もしくは魔法すらも失っているネギ、という事になる。

  • 千雨は、逃げない

この決断をした際、千雨は心の中でネギに最後まで信じれなかったことを謝っている。しかし、それは自分を厳しく見据えようとした、千雨の感情面の意味合いでしかない。
この時、千雨の心の中の「判断」「思惑」はどうだったのか。
このままではネギは死ぬ。その時、千雨は自身の信念においてネギの事を信じた結果だったという立場は確保で出来るだろう。それは、格好の良い決断かもしれないし、ある意味、誰からも責められない立場を得る事にもなる。
しかし、彼女は中断を決意する。その結果、ネギが魔法すらも失ってしまう可能性があるにもかかわらず。そして、その責任は修行を中断させた彼女にかかる。つまり、千雨はこの決断によって、魔法を失ったネギ本人と、ネギが命を賭けて目指していた目標と、つまりはネギの人生そのものを背負い込むことになるのだ。
千雨は言う。「あんた自身が無事なら他に方法はいくらでも」と。これは、この決断をした責任者としての言葉として考えると、相当に重い。千雨は、まがりなりにもネギの目的を知っている。それをなんとかしようという事は、魔法の天才少年としても難しそうな目標を、魔法の力無しに(力の王笏も失うだろう)、自身の能力だけで成そうというのだ。それは、何年かかるか分からない。
しかし、ネギさえ生きていれば、それを支え続ける事で可能にしてみせるという決意。それは、単なる責任感などで出来る選択では無いだろう。千雨は、ネギの姿を回想する。その少年が自分にとってどんな存在なのか、改めて感じている。そうして出した結論は、千雨がネギという人間を、極限的なほど深く受け入れた証と言えるだろう。
もし、ネギの修行が失敗し、ネギが全てを失っていたならば、千雨はそんな彼に、それこそ生涯にわたって付き添い、その目的を成し遂げる手助けをしたかもしれない。それは一種の「伴侶」となる決意とも言える。このような千雨の決断を、「逃げ」と捉える事は出来ないだろう。
千雨は、聡明であるが故に何事をも見通してしまう。その為、世間に受け入れられなかったり、自分から見切りをつけたりして、世界に対して「傍観者」であり続けていた。しかし、彼女の内なる心は純粋で潔癖だ。「傍観者」であり続けたのも、潔癖な自分を頑なに守りたかったからでもあるだろう。
そんな彼女が現実と向き合い決断を下す。それは、彼女にとって「逃げない」決断だったに違いない。