綾瀬夕映について その六 ユエ・ファランドールの赤面

251時間目において、記憶喪失の夕映はネギ達と真の意味での再会を果たした。夕映の記憶は戻っていないが、ネギのカードを通じた念話の問い掛けに夕映が反応し、両者が互いを認めあった。
このシーン、夕映はネギと念話を交わした時に激しく赤面する。それは、若干赤面症の気がある夕映にして、いつも以上の反応だった。夕映はゆでダコの様になって倒れてしまう。それは、あのネギとのパクティオーの時(128時間目)に匹敵する、いやそれ以上とも言えるものだ。
実を言うと、私はゆでダコシーンの一コマ前のシーンを見て「これはまずい!」と思った。夕映の身に大変なことが起きてしまう、つまり、次の「ゆでダコ夕映」が容易に想像出来てしまった。おそらく、夕映のファンである誰もが、ある程度このシーンの流れを、その様に感じたのでは無いだろうか。
夕映の赤面は、ネギと絡む場面においてそれほど珍しい事ではない。しかし、このシーンで何故これほど激しく反応したのだろうか。
実は、そこにこそ夕映の本質に触れる部分が隠れているのでは無いかと考えている。そのあたりを少し語ってみたい。

  • 状況を整理する

まず、少しこの特殊な状況を整理してみよう。
夕映は、ネギに対して結構簡単に赤面する。話をしたり、顔を近づけたりしただけで、赤くなってしまう。だから、このシーンで夕映が赤面するのはある程度当然。それも久しぶりに優しい言葉をかけられれば、より強く反応してしまうだろう。
それに記憶喪失もある。夕映はまだネギの記憶を取り戻していない。つまり、心の奥底で恋している人に対する耐性、感情の抑制方法を無くしているのかもしれない。だから強い反応をするとも考える事も出来る。
とは言え、それでもこの夕映の反応は大きすぎる。というのも、既に夕映自身はある程度この状況を推測し、心の準備が出来ていたようだったから。事実、ネギのカードを見てすぐに「やはり」と言っているし、一度理性を取り戻した後は赤面しながらもある程度まともにネギと共に状況確認が出来ている。
夕映は、記憶を失った中でも元々ネギという少年に強く惹かれていたらしいという事を把握していただろう。だから、邂逅を果たしてすぐにネギを意識し、既にある程度赤面していた。
となると、「このゆでダコ夕映シーンに限り」どうしても強く反応してしまう「何か」があった、と考えることが出来る。

  • 夕映という人間

その「何か」を語る前に、少しだけ夕映の来歴を振り返ってみたい。
夕映は、哲学少女だ。哲学者であった祖父を尊敬し、自身も中学生にしてハイデガーを研究する(90時間目)などかなり高度な知性を持ち合わせている。
しかし、同時に彼女はバカレンジャーと言われるほど学校の成績が悪い。それはおそらく、自分の興味が無いことに力を割く意志そのものが無いからだろう。
哲学や読書など、一部の事には際限なくのめり込むのに、学校の成績など、社会的な体面には全く斟酌しない。なぜ、彼女はここまで極端な性格をしているのだろうか。
それは、案外簡単に推測がつく。
夕映は、後もう一つ特徴的な要素を持っている。それは「発育不全ぎみ」なこと。
これは「綾瀬夕映について その一 「もるです」から考える身体的特徴」において既に語ったことだが(*)、夕映の発育不全はかなり顕著だ。それは「多飲多尿」のように、普段の生活にもある程度影響を与える事象も生じさせている。それが彼女にどう作用したのか。
自身が身体的に人より劣ると感じた時、夕映はそれを精神面で覆そうとしたのかもしれない。その手段が、読書であり哲学であったのかもしれない。
そんな「自身の生まれ」という理不尽さから社会への反発心も育み、勉強などという総合力で社会に適合する技術を学ぶよりも、自分の信ずる道を究めるべきだと考えたとすれば、彼女の極端な知性も理解できるだろう。
そして、夕映はネギとの出会いによって「魔法の実在」を知る事になる。知性を力に変えることの出来るこの技は、正に夕映にとってうってつけの技術と言えるだろう。夕映は魔法の習得にのめり込んでいく事になる。
夕映が勉強嫌いな事、哲学や読書のみ好きなこと、そして魔法習得にのめり込んでいる事、これらは全て、「この世界を見返してやりたい」という、強い欲求を基にしてるものだと思える。もちろん、あの四葉の明言「・・・それはあなたの力です」(72時間目)にあるように、そういった情念から発した力であっても、決して悪いことではないだろうが。
それに「何かを見返す」という気持ちは、裏を返せば「何かに認められたい」という気持ちになる。つまり、夕映の努力は一重に「誰かに認められたい」という想いがさせていると言えるだろう。
1日三時間の練習を継続し誰よりも早く魔法を発動させたり(87時間目)、アリアドネーで未来を嘱望される生徒になったりするほどの努力は、その想いがそれだけ強いからこそなのだ。

  • ネギのセリフに込められていたもの

「ゆでダコ夕映」を作ったもの、それはもちろんその前のネギのセリフの中に込められている。
ネギは言う。「僕のイメージの夕映さんなら 逆に・・・らしいかな」と。
この言葉は、おそらく彼女の今までの人生で最も求めていた言葉では無いだろうか。夕映の本質がどのようなものであるかを理解していると、明確に伝えてくれている言葉だから。
また、それがネギという、自分が恋している男性からの言葉である事も大きい。夕映のコンプレックスの源が発育不全だとすれば、それは異性問題に直結する。夕映は、自身の本質を認めてくれる男性が現れる事など、想定もしていなかっただろう。
夕映の、今までの様々な努力は、全てこの言葉を獲るが為のものだったと思える。そう思えば「ゆでダコ夕映もむべなるかな」といえるだろう。
この時、夕映はまだ記憶が戻っていない。だから、自身がなぜここまで強く反応してしまったのか、明確には判らなかっただろう。そういった意味では、この夕映にとって最高に幸せなシーンは、まだ真の意味での幸せとはならないだろう。
夕映が記憶を取り戻し、ネギや仲間達といつもどおりの心の交流をするシーンを、早い内に見たいものだ。

*実を言えば、この文は「その一」の次に書こうとしていた事を元にしていたりする。やっと繋がったかな。(3年越し・・・)