魔法先生ネギま! 279時間目 唯一の希望はネギ・パーティ!!

先日は、失礼な文を書いてしまった。
「その見方は、間違っている」
他人の楽しみ方に難癖をつけるなんて失礼だし、無粋というものだろう。
けれども、そう書きたい気持ちも分かって欲しい。
物語の中の真実というものを大切にしたい。嘘である事を前提に物語を楽しみたくない。自身の分析や推測をあたかも真実の様に語られるのは、そんな想いを否定されたように感じる。物語の先を決めるのは、ネギまの唯一絶対神である赤松健だけ。その絶対性を「分析」という形で侵されるのは、神以外の手で命が奪われるような理不尽さに感じる。
たとえば、今この場でエミリィの死を「嘘だよね」とか言って悲しまないとして、もし仮に、そのまま復活しなかったらどうなるのだろう。エミリィの死を悲しむ感情は「嘘じゃなかった」という事だけで消えてしまう。そんな事は絶対に認められない。だからこそ今、エミリィの死を夕映と一緒に悼みたい。嘘だと言われると、その事が悲しい。
分析や推測をする事を否定する訳ではない。私も何時もやっている。ただ、それを「赤松健だから絶対」とか言われるのは寂しい。それは、同じ読者の立場からして、作品の、登場人物の命の尊厳を傷付けられた気がするのだ。
さて、そんな訳で、今回の話について分析を進める。
前回まで、絶望だけしかなかった。リライトで魔法世界の住人が消されていくという事実しかなかった。
しかし、そこに一筋の光明を与えるのが、なんとのどかの「不屈の意志」。なんとも逞しくなったものだ。
のどかは、魔法世界の真実を知っている。そして、彼女は「終っていない」という。クレイグとアイシャを「きっと・・・」どうすると言うのか。それは復活の可能性を示唆しているように思える。
今回の闇使いの言葉は重要だ。それは、アイシャたちが消えたシステム=リライトの魔法の内容を、さらには魔法世界の構造すら暗示しているのではないか。
闇使いの男は、のどかすら消そうとするかのようだ。しかし、違いはあるらしい。のどかの肉体は残す。けれども精神(?)は同じ場所に行く。これは何を意味するのか。
最も可能性が高いのが、この魔法世界が「ブレインマシンインターフェイス」によるシミュレーテッドリアリティであるという事だろう。
クルトは言った。この地に魔法使いが移り住んだと。しかし、その移り住んだ者と思われるMMの住民ですら消えた。移り住んだのに、他の魔法世界の住人と同じ様に幻。そして、ネギ達は肉体を保っている。その差は何か。それはこの魔法世界に入る方法が違かったからでは無いか。MMを形成する魔法使いは肉体を捨てて魔法世界で幻のように活動している。ネギ達は肉体を持ってこの世界に降り立った。クルトが自身の死を恐れないのは、死んでもどうせ復活するから。そして、ネギを「落とそう」としたのは、それがネギの精神が肉体を離れて魔法世界の幻と同じになるから。
始まりの魔法使いはナギにいった。永遠と。ならば、魔法世界は、その世界に移り住んだ魔法使いが「永遠」を作り出そうとして生み出したシステムなのかもしれない。そして、その「永遠」の代償として肉体を捨てたのかも。魔法世界は、移り住んだとされる5万人の魔法使いの捨てた身体をエネルギーに活動するシステムでは無いか。その中で、その魂だけが幻として魔法世界の住人として活動し続けているシステムなのでは。ただ、その世界には定期的な滅亡が不可欠。今まで魔法世界を現実して生きていた者も、必ずその絶望に見舞われる。始まりの魔法使いは、そんなシステムを管理し続ける存在。
そして、クルトは、他の魔法世界原発住民を捨て置いても、魔法使いの肉体を取り戻そうとしているのではないか。となれば、元々の肉体は長い年月が経っても保存されている? 闇使いは、のどかにそれと同じ様な処置をしようと、リライトとは別の魔法を使おうとしていた?
のどかは闇使いの言葉からそれに気付き、併せてクレイグ達の「本来の居場所」を知っている事にも気付いた。もし、闇使いからその情報を奪えれば、自分の手でクレイグ達を解放することができるかもしれない。もしそれが叶わなくても、ネギの手にあるいどのえにっきに伝わった情報が、きっと役に立つはず。そこに光明を見出したのではないか。
・・・などと妄想が膨らむ。もちろん、これはかなり乱暴な推測なので、他の伏線と辻褄が合わない部分も多い。しかし、このような可能性も有るかもしれないと思える。
それにしても、ラカンと千雨だ。どちらもかなりの活躍。
前回指摘してしまったが、ラカンはきっちりやるべき事をやる男だった。これで、物語の混乱もかなり解消されるだろう。そして、ネギが向かうべき相手がしっかりしてくるのではないだろうか。
その混乱の中、不在の明日菜の代わりを、つまり、まるでヒロインのように務めるのが、千雨。
千雨は、ある意味ネギ以上にラカンと接していた。ラカンとネギは師匠と弟子の関係だったが、ラカンと千雨は、共にネギの成長を見守る「同士」のようなものだったのだから。あの、どんな時にもクールを装っていた千雨が、何の臆面も無く涙する。それは、常に自然体であったラカンに対する涙だからだろう。千雨自身もラカンに感化され、知らない内に人間として成長を果たしていた証左かもしれない。
このラカンの消滅は、あまりにも大きい。次回ののどかの活躍に縋る思いだ。