大切な「永遠の刻」を得るために 〜「映画けいおん!」感想〜 

素晴らしい映画だった。心が満ち溢れている作品だった。
内容的には、卒業式前後のお話。つまり、TVでは既に過ぎている時間の合間を補完するようなエピソード。具体的な内容としては、卒業旅行と、TVで描かれた梓へ歌を贈ることになる経緯が、非常に丁寧に描かれている。
・・・この丁寧な描写というのが、実にハンパ無い。
エピソードの中で、5人がそれぞれを、それこそ真剣に「思い遣っている」という事が、イヤというほど描かれる。例えば、澪が一番英語が出来るのに、彼女の人見知りを思い遣ってか、誰も彼女に通訳を強要しないとか。あずにゃんが新しい靴で足を痛めた時、みんなで「ついでの」買い物に行くとか。相手の心に負担がかからないように真剣に対応している。
それは、端から見ると、少し過剰なくらいなのだけれども、実際には彼女達にとって大切な事。なぜならば、この卒業前後の時間こそ、彼女達にとってかけがえの無い時間だから。取り返しのきかない時間だからこそ、互いを大事にしているという事が、納得として伝わってくる。
また、一つ一つのアニメとしての演出、作画というのも実に丁寧。
例えば、普通に歩いていて、全くセリフとか関係なく、律が唯の髪を直すシーンとかがある。こういう、流れに関係ないアニメキャラの演技を見るのは、本当に稀だと思う。それこそ、エンドレスなスクールライフという意味で連想してしまうのか、うる星の「ビューティフル・ドリーマー」の中の演技とかを思い返してしまうくらい。いや、こういう日常的な雰囲気をここまで丁寧に描いた学園物のアニメ映画は、確かに他に思い当たらない。
思い起こせば、けいおん!が始まったのは今から約3年前。それから3年、それは正に作品の中の時間、つまり「けいおん時間」で経過した時間と同じだ。
しかし、「けいおん時間」の最初の2年間はあっという間に過ぎた。現実世界で3ヶ月だったのだから、それはもう、非常に勿体無いくらいの時間経過の早さだった。
しかし、2年目の第2シリーズになって、一年間が6ヶ月かけて描かれた。前よりも密度の濃い描写に狂喜乱舞するも、しかし、それが着実に「卒業」という終わりに向かって行く、その過程が実に切なかった。
しかし、3年目のこの映画では、終ったと思われたエピソード、卒業式前後の僅かな時間が、2時間たっぷり描かれている。今まで以上に密度の濃い時間が描かれる。
時間が経つにつれて時間の経過はゆっくりとなっていく。それは、唯たちけいおん部5人の関係性の深まりと同じだ。5人の関係が深くなればなるほど描くべき事も増えていき、だからこそ、時間の経過が遅くなっていく。
そう考えると、この映画は一種の「ビューティフル・ドリーマー」なのだろう。終りたくない学生生活、無くしたくない5人が揃っている時間。それをどうにかして守ろうとする。もちろん、時間は絶対的に過ぎていく。けれども、その時間の密度を濃くすればするほど、その時間が遅く経過していく事に彼女達は気付き、その大切な時間を作ろうと努力する。大切な時間を終らせない為に、永遠の刻を得る為に、終わりに向かう時間を一所懸命過ごす。
そして、気が付けば、繰り返しライブをやる機会が巡ってきて、終わりを意識しない時間になっていく。確かに、イギリスという国では時間は戻る。彼女達にとって、もしかしたら「時間」は「過ぎないかもしれない」存在になっていく。
その刻、彼女達は、確かに「永遠の刻」を得る。
しかし、いや、だからこそ、その次の瞬間には彼女達全員の決断によって、時間は未来に進んでいく。
確かTVでは、唯達は「終りたくない」という泣き言も言っていたと思う。けれども、映画版では、その様な様子は全く見せない。TV版の影で、これだけ真摯に終りへの時間を過ごしていたのかと思うと、なんだかとても嬉しい。彼女達は、彼女達自身の心によって、「永遠の刻」を得たという実感を、この映画で感じられたから。
映画の中では、彼女達は卒業旅行をクリアし、最後の学内演奏もこなし、そして、あの梓へのプレゼントもついには完成させる。それらの行動は、実に真摯で、誠実で、そして軽やかだ。5人が特別な刻を過ごして、互いの絆を深く信じるからこそ、迷いや不安を超える力になっているのだろう。
最後のシーン、彼女達は何時ものようにごく普通の会話をしながら、そして途切れるように終る。それは、もしかしたら高校生活最後の瞬間として、彼女達にとって区切りの時だったのかも知れない。しかし、「けいおん部」という5人の関係性が全く変わりなく、「永遠の刻」を得てもなお、続く事が信じられるからこそ、そのような「おしまい」なのだろう。彼女達の更なる「永遠の刻」が、この後も描かれる事があるだろう。そんな確信みたいなものを感じさせる終わり方だった。
最初から最後まで、正に幸せに満ちた映画だった。