咲-Saki-フェス 四角い宇宙でSquare Panic! 中野サンプラザ

なぜ、「咲」という作品は面白いのだろう、と少し考えてみる。
なぜだか麻雀漫画はとても人気がある。元々萌えとは正反対のジャンルなので、咲みたいな作品は多くないが、実は膨大なタイトルが出ているジャンルだ。そして、なぜ人気があるのかというと、それは麻雀というゲームがもたらすイマジネーションに魅力があるからだと思う。麻雀には、ただ単に運や数字の駆け引きに依らない、深い世界観が存在する。それは風水に通じるような、自然そのものを体現しているデザインから醸しだされる。対戦型ゲームのデザインは主に戦争のイメージだろうから、チェスなど軍隊とか国をデザインに取り入れることが多い。しかし、麻雀はその世界観に「大自然」が存在する。対戦者はこのゲームに内包されるその大自然に翻弄され、もしくは自在に操っているかのような感覚に囚われる。この感覚こそが、麻雀が持つ最も根本的な魅力と言えるだろう。
前置きはまだ続くw。
そして「咲」だ。「咲」には麻雀を自在に操るような少女達が沢山登場する。麻雀=大自然=世界そのもの。つまり、彼女達は麻雀をするというその時において、世界を操る異能者となっているわけだ。そして、それを否定する「そんなオカルト信じません」という確率派も主張する。異能者のバトルの中に、科学の粋を集めた天使なども割り込んでくる。・・・これは明らかに、オタク世界でなじみの深い異種・異能者バトルの典型だ。それも少女達が戦いあうというのも、それがブームになった程度の設定で、簡単に説明が付く。実に上手い作りだ。そして、彼女達は学校同士で戦う。バトルフィールドを雀卓に限定しているからこそ出来る、学園対抗の異能者バトル。これほど、オタク心をくすぐるものはなかなか無いだろう。「咲」は、そんな、元々相容れないと思われていた麻雀と美少女・学園モノという二つの要素を、劇的なほど上手く調合した作品であると思っている。
前置き終わりw。
この咲フェスにおいては、その「フェス」を冠しているように、正にキャラソンが歌われまくっていた。キャラソンとはつまり、それを歌う事でキャストが最もキャラを体現する事できるものだ。キャストがキャラになりきり、そのキャラの歌を歌う。その時、その後ろでは物語の名シーンが映像が流れたりして。
それはつまり、「咲」において麻雀を打つキャラは「世界を操る異能者」なのだから、その異能者がそこに顕現しているというものであり・・・。「咲」という作品で、麻雀を打つことによって普通の少女が異能者になることと、歌を歌う事によってキャストがキャラになることとが二重写しになって、現実と非現実の感覚が薄れるような、なんとも深くライブに、「咲」の世界観に浸り込む状態になってしまったw。実に良い体験だった。(この感覚を説明したいが為に前置きが長くなった(^^;))
まず最初からサプライズキャストとして伊藤静白石涼子が登場。これで清澄はタコス一人欠けなるも4人揃い、阿知賀のドラゴン娘欠けと、また千里山のstylips4人娘ともバランスが合うという状態に。そこにさらに、第一部は龍門淵の大将とステルスモモ、第二部ではモモの代わりに「池田だし」、という無印のキーパーソンが加わる布陣だった。清澄の主将副将、あとキャラソンがまだののっちとまほを除いて全員歌ってくれた。
そして、ただ歌うだけではなく、曲の合間、というか曲が歌われているその裏では、楽屋でガチ麻雀が打たれていたらしく、それを中継する場面もあり。
また、トークでは清澄のお姉さま方が放映当時からの麻雀遍歴とかを振り返り、「咲」という作品の歴史の長さ、そしてまだ続く事への喜びを語るシーンがあったり。
他にも各キャストについて色々語りたいけれども、もう充分長文か。
何はともあれ実に「咲」らしい、良いイベントだった。