花澤香菜 live 2015“Blue Avenue” 日本武道館

そして、ついにやってきた花澤香菜の武道館公演。まさかこんなにも早くここに辿り着くとは思っていなかったので実感がわかないくらい。この武道館公演は、声優としてアニソンの力を借りないアーティスト活動だけでの達成という前代未聞の大偉業だと思う。
折角なので、自分が花澤香菜をどのように見てきたか振り返ってみる。
やはり最初に知ったのはゼーガペインか。非常に新人的で言ってしまえば酷い演技なのにどこか耳に残る。所謂「良い棒」と称された彼女はやはり最初から気になる存在だった。しかし、イベントではなかなか出会えず、最初に彼女を見たのは2007年の電撃15年祭のガンスリステージ。
その時の印象は、それなりに衝撃的だった。あがっている様子でメロメロなのに舞台を盛り上げようと終始おどけた態度を取り続ける。若手なのに太鼓持ちの道化みたいな役どころだった。当時は既に空やぱてまよでどこか突き放したセンスに頼る演技を見せ始めていた頃であり、そのおどけた態度の裏に場の空気を必死で掴もうとするセンシティブな性格を感じさせた。
次に記憶に残るのが2008年9月「セキレイ秋祭り」。道化者の立場はそのままでステージ上の他の声優達からも笑いで頼られる存在だった。しかし歌。花澤香菜がソロでキャラソンを歌う機会は今でも少ないのだけれども、それを初めて聞いた時の衝撃はかなりのものだった。
決して上手くない。音程もリズムも取りきれてない。しかし笑いは入れるし萌え要素も入る。ロリキャラとして求められる声を出す。これぞ声優が歌うべき生のキャラソンと絶賛したくなるような「演技」だった。その卓越したセンスを目の当たりにして、この人にはもっと歌って欲しい、アイドル声優として活躍して欲しいと強く感じた。
その後の彼女は、かんなぎ化物語とより大きなヒット作に参加する事で人気も高まっていった。彼女の演技に話題が集まり成功の鍵になったのではないか、彼女が出演すれば作品がヒットするのではないか、という「花澤香菜出演作ヒット神話」がまかり通った。
彼女の様子が変わり始めたのもこの頃から。もちろん彼女の性格は変わらず、ラジオのおどけた本性はそのままだったが、イベントとか表では少し落ち着きを見せ始める。それを初めて感じたのが「文学少女」。今でこそ「声優界屈指の美女」(w)とか言われているけれども、そのイベントで楚々と読書のトークをしている様子を間近に見て、私は初めて彼女が美人さんであることに気付いた。やはり今までのおちゃらけた印象が強いので気付けなかったのだろう。
そして、彼女が自覚的に変わろうとしたのはRO-KYU-BU!の活動の頃だったのかもしれない。お笑いはゆかちとひよっちに任せてリーダーとしてしっかりした態度を取る。アイドル的なカリスマ性については、もしかしたらアイドルとしての自覚を強く持つ小倉唯に見習うところがあったかもしれない。あのRO-KYU-BU!という活動は、正に後のアイドル声優を生み出す伝説的な場だったと言える。
その後、満を持してのアーティスト活動の開始。それは、私が望んでいたものとは少し違うキャラソン、タイアップなどをほとんど行わないセンスの高いオサレ系だった。とは言え、時代は世間一般がアニメ文化に自ら参加すべく目を向け始めた時期。恥ずかしいマニアックなモノを好まない一般層にとってアーティスト志向は受け入れやすいものだったに違いない。彼女にキャラソン的なモノを期待していた私としては、この方向性に若干物足り無さを感じてはいたが、同時に彼女の卓越したセンスはそれらの楽曲を受け止めて見事な表現を作り出しており、その歌声には十分魅力された。
声優では誰よりも魅力的にキャラを演じ、歌手活動ではアーティスティックなものに専念する。その二つを決して交わらせることなく同時並行してここまでの成功を掴みとった。特に歌手活動は決して最初からの素養では無く、声優としての成功の後に活動を開始して作り上げてきたものだとすれば本当に驚異的な事の様に思える。
・・・とまあ、彼女の過去について長々と語ってしまったが、いい加減、今回の武道館ライブについて語りたい。
実を言うと、今回のツアーの柱となる新アルバム「BLUE avenue」については、いま一つピンと来ていない。花澤香菜が新境地を求めて自身の内面表現に務めている印象はあるものの、それはどこか画一的。慣れない表現をしようとして、それを全て言葉に替えてしまって色彩が消えてしまったみたいな感覚。最終的に決まったというイメージ「ニューヨーク」も正に色の無い世界を表していて、それはジャケット写真の雰囲気そのものだ。
花澤香菜の声の色彩は幅広い。あらゆる物語性から求められる色を声に乗せて出す事が出来る。今までの楽曲についてもその一つ一つに物語性と色彩イメージが付いていて、それを表現してきた。しかし、今回の表現は花澤香菜という「一個の存在を説明すること」に捉われているのかもしれない。アルバム用に取りおろされた楽曲は声のトーンが全て同じに聞こえて単調な印象を受ける。
ただ、その単調さによって一つ確認出来た事もある。それは花澤香菜がとても輝きのある澄んだ力強い声を持っているということ。これは所謂一流のヒロイン声であり、過去のトップアイドル声優が必ず持ち合わせている声質。その声の傾向は強ければ強いほどよいが、今回の歌で改めて花澤がこの声を全ての面でトップクラスで持っていることを確信した。ただ、花澤は普段それを前面の武器にせず、茫洋と霞んだ声をメインにしているのだが。
ともあれ、新アルバムの楽曲で固められたライブ前半は、その強く輝きのある声に魅了され圧倒されつつも、どこかで息苦しさを感じていた。しかし、後半になって過去のアルバムやシングル曲が増え始めると、花澤香菜の本来の色彩豊かな表現が現れ初めて、彼女の作り出す声の世界に我を忘れるくらいに没頭してしまう。これぞ花澤香菜のライブだ。こんな感覚になるライブは他にそうはない。堪能した。
そして一通りの公演を終えた後の、アンコール。一発目に歌った曲は「恋愛サーキュレーション」。
恐らく花澤香菜の歌を一般的に広く知らしめた楽曲だろう。しかし、彼女はアーティスト活動を開始してもこれらのキャラソンをその活動の中では一切使ってこなかった。感極まってステージ上で泣く彼女によると、彼女のサポーターは最初から彼女を武道館に連れて行くことを目標にしていたとか。彼女の声に可能性を感じ、アニメタイアップなどの他の力を借りずに歌声の力だけで武道館に辿り着く。その目標が叶ったことにより、今まで封印していたキャラソンを歌ってくれたのだろう。とてもストイックな態度だと思う。
ともあれ、一つの封印が外れ、花澤香菜の可能性はより広がりを見せるだろうという事。今回の武道館公演の成功を一つの通過点として、より大きな活躍を期待したいものだ。
花澤香菜にキャラソンオンリーライブとかやられたら、その場で昇天するかもw。

Blue Avenue

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