「けものフレンズ」第1話をこう見た

誰からも頼まれて無いのに書くのが好きなフレンズなんだね。すごーい!
という事で、けものフレンズ第1話を初めて観た時の感想を書くよ。
世間じゃ大騒ぎになってるけど、どうも一部では「大した作品じゃないのに皆話題性だけで騒いでいる」と思っている人も居るみたい。無料配信も100万を突破して、実際に一話観てそう感じてる人がいるのだろう。
で、自分はというと、忙しさにかまけて1話観るの遅れたのが忸怩たる思い。観て凄いと思って騒ぎ始めたのが4話放映時くらいで、まるで話題に乗っていると思われる様なタイミングになってしまったものだから、それが癪でしょうがない。実際にはそれまで世間の評価も知らなくて、内容全く知らないまま観たのだけれども。
なので、第一話を初めて観た時に実際にどう感じたのかを書き記しておく。まあ後から書いているので、当初感じた時より情報整理してる部分はあるけど、それはご愛嬌という事で。
これは云わば言い訳みたいなもの。そして、頭の中で感じたことをそのまま書くとなると、それはもう途轍もなく長くなる。脚本構成厨だから妙にねちっこい。
だから、本当に誰にも頼まれないような文なので、読まなくてよいよ。

  • 1.アバンの掴み

まず、最初に惹かれたのがアバンの「狩りごっこ」。
出てくるのがサーバルとかばんちゃんだけど、観る側が感情移入するのは人類であるかばんちゃんだろう。けど、ここではサーバルの視点から入っている。
これは良くある手法で、異世界を描く際、主人公の方が異分子なので、それが異世界でどう捉えられているかという視点から描く事で異世界観を醸し出す。まずそれやっている所から「すごーい」と思った。
そして、サーバル視点からの描写とはつまり「狩る側の視点」。サーバルにとってはごっこ遊びなので少し遊びを入れて走り回っている。すると、どうやらかばんちゃんの方も走り始めているのではないかと思われる描写になる。
つまり、かばんちゃんの方はまだ顔も写ってない段階なのだけれども、狩られる恐怖によって逃げ始めているということ。これが「すごーい」ポイント二つ目。
観る側に「今、逃げている方は恐怖を感じたな」と思わせたタイミングで顔を写し、その主人公へスムーズに感情移入させている。
この一連の流れは実に洗練されていて、もしかしたら既存の動物パニック映画のリスペクトなんじゃないかと思ったくらい。(実際に元ネタとか判った人いたら教えて欲しい)
そして「けものフレンズ」が一筋縄じゃいかないところがもう一点。
サーバルに追いかけられ、かばんちゃんは真剣に恐怖を感じている。だから捕まえられた時「食べないで!」という。けど、それに対してサーバルは「食べないよ!」と返す。
サバンナで動物に追いかけられたら本能的に身の危険を感じるのは当然だろう。それが自然。しかし、本来語るはずのない動物=フレンズであるサーバルが言葉によって一言で否定する。ここにいるフレンズは人に危害を加えない。それがこの異世界ジャパリパークの当たり前だという態度をもって、サーバルは返す。
この一言でこの世界=ジャパリパークの有り様が、既にくっきりと立ち上がってきている。
ここまでがアバン。このアバンを見ただけで、もう「すごーい!」の気分になっていた。
…ここまででもかなり沢山書いちゃったな。もう少し飛ばしていこう。

次の「すごーい」は、サーバルが自己紹介するシーン。そこには種族名のテロップも入り非常に分かり易い。
このシーン、この「けもの擬人化美少女キャラ」=フレンズがこの後も出て来て、この様に紹介されるのだろうと認識できる。つまり、このアニメが単なるアニメではなく、図鑑的要素も持っている事を表している。
そして、このシーンはとても印象的。立ち上がって両手広げてこの世界に向かえ入れる感じでの自己紹介。
つまりサーバルがこの世界の入り口的な存在であり、その彼女が人類であるかばんちゃんを歓迎していていることを身をもって表している。

かばんちゃんは最初に追いかけられたことから、まだサーバルへの警戒心が消えていない。そんなかばんちゃんに対して、サーバルは色々と話しかけて力になろうとする。
記憶喪失によって自分の種族が分からないというかばんちゃんに対して、積極的にスキンシップを試みる。これは警戒している子供に対して安心させる行動に似ている。動物は触っても危害を加えない存在に対して本能的に安心を感じる。その事をサーバルは動物として知っている。
観る側もこれを見てこのサーバルジャパリパークという世界に対して根源的な安心を感じる事が出来る。

  • 4.分からない事は図書館に聞けばいいんだよ

その上で、サーバルは「分からない事は図書館に聞けばよい」という。
これがけものフレンズ第一話を観て特に「すごーい」と感じ入ったところ。
フレンズは動物の擬人化キャラだが動物そのものではない。彼女達には相応の知性があり、その知性によってこの特異な世界で生活しているし、だからこそかばんちゃんの様な他者も受け入れる事が出来る。
分からない事がある時は図書館で調べる。これほど真っ当なリテラシーは無いだろう。現代人の、分からない事あったらとりあえずスマホ弄って、答え見つからないとSNSで同じ様な人見つけて安心してしまう輩よりも余程知性的と言える。
フレンズは確かに人類とは違う特殊な存在だが、動物の本能的な知恵と、ある程度人類的な知性を同時に持ち合わせた存在として描かれいる。つまり、動物の擬人化でありながら、彼女達独自の尊厳をちゃんと保って描かれている。
これにはほんと「すごーい!」と感心した。

  • 5.設定の使い捨て

早速サバンナちほーを移動する2人。サーバル曰くここには他のフレンズも沢山いるという。そして、実際にシマウマとトムソンガゼルが見られる。けれども、その二匹ともまともに登場しない。叢に隠れていたり、遠景の後ろ姿だったり。
トムソンガゼルなどは後ろ姿だけでも魅力的なデザインなのだけれども、それを敢えて物語に関係ない部分として使い捨てる。これによって、このけものフレンズという作品の世界設定の懐の深さを表し、その世界をこれから旅する期待感を逆に高めている。

  • 6.セルリアンとの出会い

けものフレンズの分かり易さの一つ。小型セルリアンを登場させることで後の大物セルリアンとの戦いの前振りとなり、同時にかばんちゃんの非力さも表現しているが、あともう一つ、セルリアンをここで出す理由がある。
フレンズは擬人化動物だ。これが「物語的に何を意味するか」という事は、実はまだ観る側にとって不安定だったりする。
つまり「ちゃんとした擬人化動物としてそこに存在している」のか「かばんちゃんという主観が動物を擬人化して見ている」のか、ということ。
こういったファンタジー的な世界では、このような不安定さは先を観る時の重しになるのだけれども、それをけものフレンズはセルリアンという明らかな異分子を出す事によって、一気に排除する。
明らかな異分子は主観からは生まれない。つまり、セルリアンが居ることによって、フレンズは実在の擬人化動物であることを明確にしている。
この先を気軽に見られるように、出来るだけ早くこういった設定を提示する。とても意味のある構成と言える。

休憩の時、かばんちゃんは未だ抱えている自分の懸念をサーバルに伝える。
アバンでもサーバルは否定したが、ジャパリパークのフレンズが人に危害を加えないということを、ここでさらに説明している。
これはとても大切な事で、サーバルはかばんちゃんに危害を加えないと言ったけれども、それはサーバルという個体だけのものではないか?という懸念は未だ残っている。それをここで否定する。
フレンズという擬人化動物がいる。そのフレンズは知性を持ち、互いに深刻な争いをすることなく共存しているらしい。
そして、それらフレンズは特定の方法によって供給されている様だ。
これらから、この平和的で、明らかに本来の自然とは違うジャパリパークという世界が、パークという名の通り人の作り出した遊園地的、動物公園的存在ではないかという推測が、この辺りでおぼろげながら出来るようになっている。
記憶喪失であるかばんちゃんにはそこまでは分からない事だろうが、それでもこれはかばんちゃんにとって、そして観る側にとっても、大きな安心感となる。

  • 8.人類の良いとこ探し

これは後に読んだ他のネット考察でも書いてあったかな。やはりここだよね、と思ってニヤリとしたものだ。
かばんちゃん=人類の動物に劣るところを示した後、最初に提示した人類の良いところ=持久力。この渋さ。
人類の良いところ=知性、と普通なら安易に答えたくなるもの。けどここでは人類を「動物学的に見て」良いところとして「持久力」を挙げている。
知性が人類を動物より優位に立たせる要素の一つなのは確かだが、人類がここまで繁栄したもう一つの大きな理由がその持久力で勝ち得た移動能力による。これによって、世界全体に広まることが出来た。これ程までに世界中に蔓延っている動物は他にそうは居ない。
この能力に同じ動物であるサーバルが真っ先に気が付くのは当然のと言える。サーバルは動物の視点で同じ動物として人類を見ているのだから。
ここに作り手の物語づくりに対する真摯さ、知性、感性の高さを感じる事が出来る。
さらにこの描写は、観る側に、正に人類レベルでの承認を与えていると言えるだろう。「どんな動物かな」という動物学的に実にフラットな視線で、人類である主人公を評価してくれている。描写としては漠然としているが、この承認に気が付く者にとっては、物語としてこれほど嬉しい要素は無い筈だ。
・・・
Aパートでこんなところかな。
これらを一言でいうと、けものフレンズは「特異な異世界設定が実に見易く的確に説明されていて、尚且つ知的で魅力的に描かれていて、すごーい」な訳だ。
…疲れた。頭の中で感じたことを言葉にするのは、やはり面倒だし苦手だ。
ともあれ、ここまで見てもう「すごーい」の連発で、興奮して観るの中断して一息入れたの覚えてる。
そしてBパート観てやはり「すごーい」連発し、そのあと直ぐ第2話見始めたらそのアバンがもっと「すごーい」なので、もうその動揺のままその先を見続ける事が出来なくなった。一応その思いをツイートして(つまり最初に「凄い」と言ってた時、まだ1話しか見てなかった)、外出して散歩して気分落ち着かせたw。
もう書き疲れちゃったから、ここまででよいか。実際、この後は少しだけ「すごーい」に慣れてきてたから、ここまで細かい感想書く気もないし。いや感じた「すごーい」ポイントはまだまだ沢山あるんだけどね。
気が向いたらまた書きます。