検証:超鈴音「同じ舞台に立った」の意味

ネギま!156時間目において超がネギに言ったセリフ「これで君は私と同じ舞台に立った」について少し検証してみたい。
ただし、この検証は推論に推論を重ねる事になるので、どのくらい意味のある事なのか、私にもまるで自信がない事を最初に言っておく。
まずは、このセリフを考えるにあたり前提になると思われる時間遡行と歴史改変に関する推論から。

仮定:ハカセの呪文の効果は?

今超が行っている計画は、全人類に対して「魔法がある」と信じさせる認識魔法をかけるという壮大なものだ。その為に、世界樹一帯を占拠し、世界12箇所の聖地及び月と同期し、巨大魔方陣によって大魔法をかけている。
しかし、その術者であるハカセが唱えている呪文は何故か時間に関するキーワードで構成されている。認識魔法そのものではないように思われるし、世界12箇所の聖地との同期だけを目的としているのとも少し違うように思う。
では、この呪文はなんなのか。ここで思い出されるのが、超の計画における根幹的な部分の謎である。
超は未来からやってきた未来人であり、その目的は歴史を変える事である。超の言動によると彼女はネギに渡したタイムマシン、カシオペアによって過去に来たようであるが、ネギがカシオペアを使用して過去に遡った時、歴史は変わらなかった。では、一体超はどうやって歴史を変えるのか、という謎が未解決のままであった。超は何か特別な事をしない限り自らの目的=歴史改変を達成出来ないはずなのである。
そこで、ハカセの呪文こそが歴史改変を可能にする為の魔法なのかもしれないという推測が出てくる。月との同期もその事を暗示しているように思える。
呪文の内容は案外単純である。意訳すると「アイオーンの中に世界があり、世界の中に時間があり、時間の中に生成がある」というような事を言っている。これはもしかしたらプラトンあたりからの引用かもしれないが(面倒なので調べてない)、世界と時間の関係を規定する呪文ともとれる。
アイオーンとは時間もしくは永遠の神の事。擬人化されるクロノスよりも高次の「時の神」的存在ととらえて良いだろう。これは、時間には世界の内側にあるものと外側にあるものがある、つまりカシオペア=クロノスの流れを行き来する機械では世界は変えられないが、アイオーンたる存在になれば世界を変える事が可能、と言う事だろうか。
この呪文は「この呪文を唱えた以後、時間遡行者はアイオーンとなり、その者が行った行為が歴史改変になる」というものなのかもしれない。
実際の所、カシオペアで過去に来た者が何をするにしても、過去を変える事自体矛盾があるようにも思えるが、そこはこの超トンデモ魔法の力でクリアしたとしても良いだろう。
なにはともあれ、この呪文がこのような「時間概念変換魔法」であれば、超の目的達成の為の、根幹の謎が解明した事になる。

推論:「同じ舞台」の真の意味

上記のようにハカセの呪文の推定した場合、超のセリフを検証する際、この呪文が与える影響を考える必要が出てくる。
というのも、時間を行き来し、この呪文の期間に入ってきたネギの行動もこの呪文に影響を受るはずで、それが一体どんな結果を招くのかを考える必要が出てくるからである。
ここでまた一つの仮定をする。
時間遡行者が歴史を変えられる存在だとすると、その現象は一体どのような形で表れるのだろうか。実は、この想定は全く科学的ではない。一番認識しやすいのが映画「バックトゥーザヒューチャー」だろうか。映画の主人公は自分の母親の結婚を邪魔した為に自分が消えそうになる。仮にこの悲劇が実際に起きた時、この主人公の存在は一体どうなるのか。結果だけ見ると、「結婚を邪魔する者が忽然と表れ、人知れず消えた」という事になる。この「表れて消えた存在」は、時間旅行が起こした「時空の歪み」とすればよいだろうか。科学的とは言えないが、なんとなく説明がついたように思えれば良いだろう。これがハカセの唱えた呪文により時間移動によって起こりうる効果であると仮定する。
超は、未来人である。それも彼女曰く「人類が火星に住む」程度先の未来から来たらしい。その彼女が、人類文明を変えるほどの歴史改変を行ったとすれば、彼女の住んでいた未来は大きく変容しているだろう。そうなれば、当然、彼女自身の存在は「跡形もなく無くなる」のは想像に難くない。
つまり、超は「計画を成功すれば消える」立場にあると言えるだろう。
ではネギはどうだろうか。
ネギは超によって一週間先に飛ばされた。そして時間遡行をして、このハカセの呪文の期間に入った。ここで、超の計画を阻止したとする。すると多分「ネギも消える事になる。」
ネギが超の計画を阻止した1週間後の世界は、当然、ネギ達が前に飛ばされた「魔法ばれした世界」ではない。だから、ネギ達は過去に戻る必要は無い。ネギ達が超の罠にかかって飛ばされた1週間後は「魔法ばれしていない世界」になっていて、ネギ達はそのまま過去に戻る必要も無く時間の流れどおりに過す事になる。では、超と対決したネギはどうなるかと言うと、これこそが、消えてしまう存在、つまり「表れて消えた存在」=「時空の歪み」となるわけだ。もっと詳しく言えば、ネギチーム全員(ネギ、明日菜、木乃香、のどか、刹那、夕映、千雨、パル、くー、楓)の、1週間後に表れてから過去への移動を成し遂げるまでと、学園祭最終日に表れて計画を阻止した時までの時間の存在が全て消えてしまう事になる。(存在はするが、現存するネギチームに引き継がれない記憶になる)これは、ネギチームの各々が真に力をつけ、ネギ自身も大きな意識改革を成し遂げた、短いながらも貴重な時間の喪失に他ならない。
超が計画を成功させれば「超が消える。」ネギが計画を阻止できれば「ネギが消える。」
つまり、「成功した方が消える」という事を、超は「同じ舞台」というセリフで表現しているのかもしれない。

さて、結論は…

超の「同じ舞台」という言葉の意味には、もう一つ「同じ自分の願いを達成しようとする意志を持つ者」というものがあるだろう。
しかし、「自分の願い」という点において、ネギは超に比べてかなり弱いのではないかと思わざるをえない。ネギの願いは「マギステルマギになる」という、結局は個人的な夢である。対して超の願いは、二年間をかけ、世界の構造を変えてまで成し遂げたいと願う過去の改竄である。それが個人的なものであろうはずはない。もしくはそうあって欲しくは無い。謙遜した意味で言っているのかも知れないが、個人の夢と同等などとは、これほどの計画を遂行するものとして不用意過ぎる発言といえるだろう。
では、それ以上の意味として、上記のような、「成功した方が消える」という意味を持たせているとしても実際には少し妙な話だ。
超は彼女の「全存在」をかけている。対して、ネギ達は、確かにネギチーム10人の時間、それもとても貴重なものであるとは言え、喪失するのはほんの丸1日程度だけなのだ。これではあまりにもつりあいがとれていない。
物語的にも、ネギ達の活躍がなかったことになるというのも、超が消えてしまうという悲劇も、あっては成らない事のように思える。実際の所「成功したほうが消える」という展開にはならないような気がする。
もしかしたら、このセリフにはもっと別の意味があるのかもしれない。
(…これだけ書いといて、それが結論かよ)