さて、結論は…

超の「同じ舞台」という言葉の意味には、もう一つ「同じ自分の願いを達成しようとする意志を持つ者」というものがあるだろう。
しかし、「自分の願い」という点において、ネギは超に比べてかなり弱いのではないかと思わざるをえない。ネギの願いは「マギステルマギになる」という、結局は個人的な夢である。対して超の願いは、二年間をかけ、世界の構造を変えてまで成し遂げたいと願う過去の改竄である。それが個人的なものであろうはずはない。もしくはそうあって欲しくは無い。謙遜した意味で言っているのかも知れないが、個人の夢と同等などとは、これほどの計画を遂行するものとして不用意過ぎる発言といえるだろう。
では、それ以上の意味として、上記のような、「成功した方が消える」という意味を持たせているとしても実際には少し妙な話だ。
超は彼女の「全存在」をかけている。対して、ネギ達は、確かにネギチーム10人の時間、それもとても貴重なものであるとは言え、喪失するのはほんの丸1日程度だけなのだ。これではあまりにもつりあいがとれていない。
物語的にも、ネギ達の活躍がなかったことになるというのも、超が消えてしまうという悲劇も、あっては成らない事のように思える。実際の所「成功したほうが消える」という展開にはならないような気がする。
もしかしたら、このセリフにはもっと別の意味があるのかもしれない。
(…これだけ書いといて、それが結論かよ)