涼宮ハルヒの憂鬱 第8話

なるほど。間にエンブレムの話をはさんだのは、そういう意味だったのか。
セカイがハルヒによって創造されたという事が語られたのが前々々回、そしてそれがどのような突飛な事を引き起こすのかを描いたのが前回、そしてそれがどのような危険性を孕んでいるかを描いたのが今回。あくまでSOS団の楽しい日常を描く事を本筋にしていながら、視聴者が与えられた情報によってどのような思考を巡らせるかを考慮していくと、このようなならびになるのも頷ける。
今回の推理劇は、怨恨による殺人→実は被害者自身による事故死→SOS団の行為による事故死→全ては狂言、という風になかなか練りこんだ展開だが、もちろんハルヒシリーズの場合、この推理展開の外にもう一つ大きな疑問がある。つまり「これはハルヒが望んだから起きた事なのか?」という事。ハルヒが事件発生を望んでいた事は前編でも明確にされ、そしてこのセカイはハルヒの思考に影響を受ける。では、事件が起きたのはハルヒが望んだから?という疑問を視聴者も常に感じざるを得ない。そして、結局は「狂言」だったというオチなのだが、もちろん、これはそのまま受け取る事は出来ない。長門、朝比奈、古泉は、もしかしたら「宇宙人、未来人、超能力者がいて欲しい」というハルヒの願いによってそうなったのではないか、という疑問があるように、今回の事件も「狂言であって欲しい」というハルヒの願いによってそうなったのではないか、という疑問が残るからだ。
それにしても、ここで取り上げられている問題は実に重たい。ハルヒの全能性はつまるところ「死んでしまえと思えば人が死ぬのか」という問題に繋がる。そして、それはこのセカイでは事実なのだろう。普通の人間がこのような状態に置かれた時、普通の精神を保てるだろうか? 「普通の人間にとって全能の力は不幸」とすれば、ハルヒはまさに地獄に身を置いているのも同然である。しかもその地獄は、ハルヒ自身の「神の力」によって形作られている。なんとも堅固で扱いづらいものか。
しかし、キョンという存在がいて、それをサポートする3人の異界人がいる。彼らは彼女をどうにかしようと日夜奮闘する。
このハルヒシリーズという物語は「神の力による地獄の檻から、少女を救い出す物語」とする事もできるかもしれない。