コードギアス 〜エンターティメントと倫理観〜

溜まっていた最近の回を見る。
なんだか、どんどんいやらしくも面白い作品になっているなあ。(w)
主人公のルルは自分の母親を殺されたという私怨と妹のすむ場所を作るという私欲で動いている。そして、その行動としては大量殺戮をも辞さないほどの苛烈なものだ。例え、その裏に人を人とも思わない帝国の悪政があったとしても、彼が自分の私怨私欲で動いている以上、その報いは彼の元に返ってくるはずだ。それは彼の心を蝕んでいかねばならない。
しかし、この作品ではそうはならない。いや、彼の元に返っているように見せかけて上手くかわしている、と言った方が良いか。
例えばシャーリー。彼女は、彼の行動からくる代償を代表するものだろう。しかし、彼女が代表する事で、物語的には他の多くの死が隠されてしまう。つまり、クラスメイトとの恋の遣り取りという、メインの視聴者になるであろうティーンが注目しがちな話題に全てを封じこめてしまっている。そして、ルルにしてみれば、恋人になったかもしれない女友達の喪失(それも死んでいない)だけにとどまっていて、視聴者はその詩的な結末に酔い、何処と無く安堵する。
他にも、ルルはその行動毎にある程度代償を求められてはいるのだが、それは彼の平穏な学園生活の中に納まってしまうようなものばかり。とは言え、視聴者にとって見れば結構大変なものに感じるあたりの実に上手いサジ加減だ。
・・・ほんと、いやらしい。(w)
そして、ルルの行動は結局成功していくのだ。その全能感、爽快感たるや、実に心地よい。実際に自分を精神的に圧迫する存在をやりこめていくのだから、これほど痛快な事は無いだろう。やりこめたり利用したりする相手が、見た目からして無能で利己的な軍人だったりするのだから、視聴者も実に安心だ。もう、どんどん殺せッて感じ。
当初、この物語は予め敗北が決定した物語なのかと思っていた。ルルの行動と、それに伴う挫折と絶望の物語だと。そしてそれを精神面で最後に助ける存在がスザクになる、とか。けれども、話が進むにつれてスザクも決して褒められた存在では無くなっていくし、ルルは成功しすぎている。ルルの行動に伴う「物語の快楽」があまりにも大きくなっており、その代償がほとんど皆無なのだ。これでは、最後にどんなにそれなりの負債の代償を用意したとしても、多くの視聴者に残る印象は快楽の方が強くなってしまうだろう。いやはや、なんとも良く出来たエンターティメントだ。
しかし、本当にこれで良いのか?
さらには、この物語続編が作られることまで決定したようだ。最後にルルが受けるであろうはずの代償すら無くなりかねない。
一体どんなオチを付けるつもりだろう。なんだか、とってもハラハラドキドキだ。
実を言えば、脚本の大河内一楼はかなり昔から注目していた人だ(ネット上で最初に彼のファンを名乗ったと自負するくらい)。やはり、それなりの環境に置けば、凄い仕事をする人なのだろう。
けれども、それだけに「危ない」とも思う。「高度な科学には、それに伴った高い倫理観も必要だ」というが、エンターティメントの世界でもそれと同じ事が言えるのかもしれない。