ネギま!の魅力とアニメの失敗

ネギま!」のアニメ展開がほぼ停止した現在、そのアニメ展開全体の結果について、少し感想を述べてみたい。(追記…まだやってるよね。忘れてた(^^;。)
原作の漫画「ネギま!」の魅力は幾つかあるが、その一番の魅力は「情報の積み重なり」だと思っている。
ネギま!は、ネギと31人のクラスメイトの物語だが、そのキャラ一人一人に事前に奥深く構築された設定が存在する。その細かな設定を小さなドラマと共に小出しにすることで、キャラ単体の設定に厚みを与えるだけでなく、「キャラとキャラ同士の関係」など相互的な設定にも厚みが加わっていく。それは、当初の設定に無かった偶発的な物も含まれる。基本的に1人+31人という、限定された関係の中であるからこそ、その相互関係はより深く、積み重なる設定も多くなる。そして、その過程で各キャラの全体像が浮き彫りになり、「単に物語で必要な設定だけが描かれたキャラ」ではなく、「物語世界における実存に必要なほどの(物語には不要な)設定が描かれたキャラ」に育っていく。それはまるで、各キャラ同士が相手に光を当て合い、360度、全方位そのキャラの情報が浮かび上がっていくかのような、劇的な効果を生み出す。
一度このネギま!の魅力に気づいてしまうと、もう完全に虜だ。各キャラに様々な方向から光を当て、その結果知り得た情報が、また他のキャラを照らす光になる。何度も何度も様々な方向から眺めてみて、新しい楽しみを見出す事に夢中になってしまう。
ネギま!」は、そんな万華鏡の様な作品であると思っている。
そして、そんな効果を支えるのは、徹底して管理された情報なのだろう。管理されながらも積み重ねられた情報は、その楽しみに更なる奥深さを与えている。この情報の積み重なりが続く限り、ネギま!の魅力が損なわれる事はないだろう。
そこでアニメ化についてだが・・・
まず、第1期アニメについて言うと、当初、当然の事ながら期待していた。というのも、漫画原作が既にある程度進んでいる状況で作る作品は、今あげたネギま!の魅力から考えると、既に積み重ねられている情報を再度検討し、より魅力的に作リ直す事も可能な状況でもあるからだ。だから、各キャラの髪の毛の色が変わっていようが、座席順がが違っていようが、さらには、作画が崩壊しようとも、あまり問題とは思っていなかった。アニメではアニメなりの情報の積み重ねがある。それだけを信じていた。
ただ、「ネギま!」のアニメ化において、どうしてもやって欲しくない事があった。
それは「最終回」を作る事。
「最終回」を作る事とは、つまり、ネギま!の魅力である「情報の積み重なり」を否定し、ネギま!が「単なる物語」になってしまう事に他ならない。最終回に向けたストーリー展開の中、各キャラは「単に物語で必要な設定だけが描かれたキャラ」に成り下がり、急速にその魅力を低下していった。もし、第1期アニメで予定された26話の中で「原作で描かれている全情報」に匹敵するものを描ききることが出来ないと判断したのならば(誰がどう考えてもそう判断するが)、アニメは「続く」で終る必要があった。例え無用と思える情報でも最後まで提示し続け、各キャラに光をあて続けるには、そうする必要がある。それは「ネギま!」という作品の魅力をアニメ化で再現する為の、多分「絶対条件」ではないかと思っている。
第2期「ネギま!?」に関して言えば、もう、題名が出た時点で「駄目」であろうと推測された。「情報が積み重なる事」が「無い」事を前提としたこの題名に、期待出来るはずが無い。そして予想どおりだった。
ネギま!」キャラの基本的な魅力の部分を引き出して、独自の演出で描いている点は、前作よりも評価できる。ただ、それだけだ。各キャラの相互関係はナンセンスギャグとして描かれ積み重なることなどなく、情報的に空疎な印象を埋める為に無意味な黒板ネタを垂れ流す。それを魅力と感じればそれなりに面白いかもしれないが、「ネギま!」本来の魅力とは完全にかけ離れてしまっている。この作品がネギま!のアニメ化展開を、ほぼ決定的に「失敗」のまま終らせる物になった、といえるかもしれない。
実際の所、ネギま!のアニメ化を商業的にみると、それなりに成功していると言えるだろう。関連商品は爆発的に売れ、その広告塔としての役割は充分に果たしていたと思う。「ネギま!?」と改題した二期の展開も、2年以上続くグッズ展開をさらに継続させる為と考えれば、当然の選択だ。
けれども、アニメを作品として見たい者としては、やはり失敗作としか言い様が無い。ネギま!の魅力を見出せず、それゆえ、まるで単なる商売の道具として扱っている風にしか思えないネギま!のアニメ展開には、結果として深い失望を感じている。
もし、アニメの第3期があるとするならば、再度、ネギま!の魅力について検討し直し、一から作り直して欲しいものだ。
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ところで、4月からの新展開として、かなり確証の高い情報で「実写ドラマ化」という噂があるらしい。この場合、上記のネギま!の魅力を作り出す方法は、ほぼ当てはまらないだろう。生身の人間が演じる以上、「制御出来ない情報」が氾濫する事になるからだ。というか、生身の人間一人一人が積み重なった情報そのもの、と言えるだろう。ある意味、ネギま!を魅力的に映像化する方法としては、一番の近道といえるのかもしれない。ただ、それが「ネギま!そのものの魅力」になるかどうかは、全くの「賭け」だろうが。