明日菜とあやか、二人の年月

かなり勘繰った考察をしてみたい。それも相当無粋とも言える考察だ。
177時間目において描かれた明日菜とあやかの対決は色々な意味で興味深い。今まで、対等の喧嘩友達として付き合って来た明日菜とあやかだが、明日菜が受けた地獄の特訓により、あやかは明日菜に対して手も足も出ないほどの実力差をつけられてしまっていた。このシーンがどのような意味を持っているのか、私なりに考えてみた。
まず、いままでの明日菜とあやかは、いつもクラスの中の犬猿の仲、喧嘩友達として、「対等」の関係で対立していた。それが今回の描写では、明日菜が力をつけたことにより、その「対等」の関係が崩れた。言わばパワーバランスが崩れ、明日菜が上位に立ってしまったという事が描かれていると言える。明日菜は元々超人的な体力の持ち主であり、それに付き合ってきたあやかは、かなりの努力の上にその関係が成り立っていたのかもしれない。そう考えると、あやかの置かれた状況はかなり切ない、・・・という風な捉え方が出来るだろう。
しかし、この二人の関係はもう少し複雑なのではないか、と以前から思っていた。二人は「対等」の関係、とされているが、本当にそれだけの関係なのだろうか。
二人の出会いは明日菜があやかのクラスに転校してきた所から始まる。(14時間目)
この頃の明日菜は感情があまり無く、他を拒絶するようなかなり厄介な性格であった。対してあやかはお金持ちのお嬢様として、今と変わらず委員長を務めていたようだ。そしてあやかは、この頃明日菜に対して毎日の様に突っかかっていたらしい。(131時間目)それが単に気に入らないから、と言う訳ない事は、あやかの性格から明らかだろう。この当時の明日菜は結構気軽にあやかの家に出入りもしている。(14時間目)あやかは厄介な性格の明日菜の「面倒を見続けて」いたと考えて良いだろう。そうすると、二人は単純に「対等」とは言えなくなる。あやかは明日菜に対して、長い年月の中、膨大とも言えるエネルギーを注ぎこんでいるからだ。
二人の深い関係が初めて明かされたこの14時間目は、明日菜があやかの事を気遣うエピソードとなっている。これを先に提示された事から、二人が「対等」の関係として、互いに気遣いをしているかの様に感じさせられる。しかし実際には、このエピソードは明日菜があやかとの長年の関係に対して「感謝の気持ちを伝えた」という意味合いが強いのではないだろうか。
二人の関係をもっと明確にしているエピソードもある。明日菜がネギと喧嘩をした際、それをあやかが諌めるシーンだ。(62時間目)明日菜は内心ではすでにあやかの諫言を受け入れているが、それを最後まであやかに伝える事は無い。明日菜はあやかに対して最後まで甘えきっているのだ。この時の明日菜のあやかに対するじと目は印象的だ。子供の頃の無防備とも言える反抗的な目をあやかに対してだけ見せている。
そして、明日菜最大のピンチ、つまり高畑に振られた時もそうだ。その顔をうずめて泣いたのはあやかの胸の中である。(131時間目)こうして明日菜は、実はあやかに対して、常に反発しながらも甘えて育ってきたと言えるのではないだろうか。
明日菜には母親がいない。保護者としていたのは男性として憧れている高畑だけだった。それなのに、あの反抗的で孤独な性格は、時を経て社交性を持った明るい性格に、それはもう劇的とも言えるほどの変化を遂げた。それは、やはりあやかの存在が大きいと思える。言わば、あやかは明日菜にとって、「母親」とも言える存在なのかもしれない。そして、そんな擬似的な母子関係となれば、その両者は、単純に「対等」と言うわけにはいかないだろう。
しかし、もちろん二人は互いのクラスメイトであり、幼馴染であり、親友としての関係も築いている。それは二人がそう望む当たり前の関係なのだろう。しかし、親友であると言う事は、両者が「対等」の立場で成り立つもの。なので、現在の二人の関係はある意味綱渡り的な所にある。
親友と言える関係なのに普段の二人は互いに不干渉の立場をとっている。二人が係わり合いを持つ時は、ぶつかり合う時か、どうしても助けが必要な時くらいのもの。例えば、高畑に振られた時も、助けが必要となって最初はあやかの胸で泣いたのに、そのままではいられない。結局もう一人の親友、木乃香が側に付いていた。それは、明日菜とあやかがそれ以上の関わりを持つと、二人の本来の関係が明確になってしまうからではないだろうか。木乃香は親友として受け入れられても、あやかには受け入れきれない面がある。明日菜も性格的に成長し、既にあやかの世話を受けているだけの存在ではない。言ってみれば、それは反抗期の娘と母の関係に似ている。
明日菜とあやか、二人の関係は、「親友でありながら、母娘にも似た関係もあり、それを明日菜の方が良しとせず、また、その関係が必要ないほどに明日菜も成長していて、今までの年月の積み重ねの前に苛立ち、戸惑っている」そんな風に感じるのだ。
そして、今回の出来事が起こった。あやかは明日菜にこてんぱんにされてしまった。これは、一面あやかが明日菜に置いてきぼりを食らった、という状況だろう。
しかし、あやかが真に驚き、明日菜の事を見つめたシーンは別にある。それは、明日菜がネギの事を語ったシーン。
「面倒な奴だってようやくわかったから」協力する、という明日菜の決意の言葉だ。
これは正にあやかが明日菜に対してやってきたことの引き写しだ。子供を嫌い、他人を拒絶するような性格だった明日菜が、今あやかがやってきた事と同じ事をやろうとしている。そんな覚悟のセリフに、あやかは息を呑む思いで聞き入ったに違いない。
この後のあやかの表情は、明らかではない。彼女は一体何を思っただろうか。
確かに、体力の面で置いて行かれた、という切なさはあるだろう。
しかし同時に、明日菜があやかの所までやっと「追い付いてきた」、とも感じたのではないだろうか。
もちろん、例えそのような感覚があったとしても、あやかがそれを表に出す事は、決して出来ない。それを伝える事は、二人が今現在親友である事の否定になってしまうからだ。
だからその感覚はそのままあやかの中で人知れず消えていく事だろう。
しかし、これによって明日菜とあやか、二人の関係はやっと次の関係に進む事が出来るのではないだろうか。
二人が長い年月営んできた擬似的な母子の関係はここに終り、これ以降、本当の意味での「対等」な親友関係を作っていくのかもしれない。