ネギ=ポジティブorネガティブ?

当然のことながら「ネギま!」の主人公はネギである。だから、ネギ自身の持つ目的はこの作品全体にかかる大きなテーマと言っても良いだろう。だが、そのネギの目的が、当初提示されていたものから回を重ねる毎に変化して(深まって)いるという事は、漫然と物語を追っているとなかなか分かり辛い。この文は、その辺りを改めて整理してみるという試み。
まず、初めて登場した時提示されたネギの目的は、立派な魔法使い=マギステル・マギになるということだった(1時間目)。少年らしいポジティブな思考による、分かりやすい将来の進路と言えるだろう。ネギの明るく真面目な性格からも、読者は何の疑問も持たずそれを受け入れたはずだ。
また、その目的には「死んだとされている父を探したい」からという具体的な理由が付く(4時間目)。この頃から6年前の出来事は提示されているが、その詳細は明らかにされていない。その為、これも親を求める子供らしい理由として普通に受け入れられていた。
この明るくポジティブな目的に対し翳りが見えてきたのは、「ネギま!」のバトル物への可能性が大きく広がった「対コタロー戦」(40時間目)の時。刹那が、ネギの尽きない「気力と才気」に対して疑問を感じている。
ネギは決して天才ではなく、最初にぶつかった試練には屈服してしまう事もある(対エヴァ戦など)が、その後復活すると二度と引く事は無い。ここでは、それが彼の「気力と才気」、つまり心のエネルギーによるとされているが、そのエネルギーが今まで提示されてきた「マギステル・マギになる」「父を探す」という目的をも凌駕しているのではないかという疑問となっている。
そして、その心のエネルギーの元となる6年前の出来事が明らかになる(65時間目)。
突然ネギの村を悪魔軍団が襲撃し、村人が石化させられる。この悲劇によって村は全滅し、ネギはナギによって助けられ、姉と二人きり生き延びたという事が判明する。この時ネギは「自分が父に助けてもらいたいがためピンチを願っていたから悲劇が起こってしまったのではないか」という、実に子供らしい罪悪感を持っている事を洩らし、明日菜に否定されている。
この荒唐無稽な罪悪感は、後のヘルマン戦(70時間目)、また、その後の四葉の回(73時間目)において、さらにクローズアップされている。ただ、その際ネギの心は「恐怖から逃げる」「恨み」という若干曖昧な言葉に置き換えられている。しかし、それでは現在のネギを形作っているこだわり=心のエネルギーを説明しきる事は出来ないだろう。
ネギのヘルマンに対する態度を見ても、彼の原動力が「恨み」ではない事は確かだ。ではネギ自身の「嫌な思い出から逃げる」というセリフが正しいとして、それがなぜネギの最終的な目的「父を探す」という事につながるのだろうか。これを解明するにはネギにとっての「恐怖」=「嫌な思い出」をより具体的に説明する必要がある。
ネギが「子供っぽい自分の願いが悪魔を呼び寄せた」という荒唐無稽な罪悪感を明日菜に話し、それを否定されたのは、自分の中の罪悪感を否定してもらう為のポーズだったのではないだろうか。ネギにとって悲劇に対する恐怖とは、つまり村人に対する罪悪感そのものなのかもしれない。もちろん、その原因は「子供っぽい自分の願い」ではないだろう。なぜ、自分だけが助かったのか。なぜ、村人は自分を助けるために石になっていったのか。さらに遡って、なぜ、そのように自分を助けるようなナギを慕う人々が村を形成していたのか・・・。つまり、ネギこそが元々何者かから狙われる存在だったのではないか。自分のせいで村人は死んで(石化して)いったのではないか、という恐怖が、ネギの中には存在している可能性がある。
だからこそ、ネギはナギに会いたい。会って自分に非がない事を確認したい。つまり、ネギの目的である「父に会いたい」という想いは、実は、自分の中の罪悪感を消し去りたいという、実に後ろ向きな、ネガティブな感情から来ていると思われるのだ。
そしてその事は、アーニャに対するセリフ「僕が今何故ここにこうしているのか その意味と理由が知りたいんだ」(181時間目)によって、ネギ自身も認識している事が明らかになったと言えるだろう。(自分の心について「認識する」とは少し変な感じかもしれないが、こと罪悪感などに関しては自身の心を認識できていないケースも多い。正に「逃げて」しまうからだ。)「あの雪の日の夜」への決意に続ける言葉として、ネギ自身がついに自分の本質を捉えた事を意味している。
ここに至り、ネギというキャラクターは、実際にはかなりネガティブなキャラである事が明確になったとも言える。そしてそれは、「ネギま!」という物語が、希望を持った魔法先生というポジティブキャラによる明るく楽しいだけの物語ではなく、心に影を持つネガティブキャラの心の救済物語でもある事を示している。
この事は、実際にはこれ以前に他のシーンでも表現されてきている。例えば、武道大会の刹那対エヴァ戦におけるエヴァのセリフ「ぼーやは強くなるだろう」(108時間目)などもそうだろう。ここでエヴァは、暗い過去を背負い今は救済された刹那よりも、現在のネギの方がより深い影を有していると認識している。また、後にアルにも、ナギにつけられた傷を消したくないというネギの歪んだ部分を看破されている(120時間目)。
また、千雨がネギに対して放ったセリフ「ふっ切った 悟ったは勘違い」(121時間目)がいかに重要だったかという事もわかる。この時ネギが「ふっ切った」と思ったのは、自分の目的が「マギステル・マギになる」である事を再確認したからだった。しかし、実際には違う。この千雨のセリフがあったからこそ、ネギは自分の心の「暗い影」と真正面から対峙し、結果181時間目のセリフを導き出せたと言えるだろう。
ただ面白いのは、「ネギま!」という物語は31人のクラスメイトとの明るい心の交流によっても成り立っていて、ネギの「父に会う」という目的は、「罪悪感を解消したい」というネガティブな思考だけではなく、「マギステル・マギになる」というポジティブな思考にもつながっているという事だ。そのどちらに偏る事もなく物語が進んでいるので、軽いだけの物語になるでもなく、鬱なだけの物語になるでもない。今後も、この絶妙なバランスは保たれ、色んな見方の出来る物語として「ネギま!」は続いていってくれるのだろう。