アニメ「ひだまりスケッチ」3つの魅力 その2 〜見て嬉しい、各話テーマ〜

前回「その1」は「ひだまりスケッチ」の構成面、テクニカルな魅力を語ったのだが、この後は内容そのものを語り倒したい。いやあ、好きな作品の良い部分を語るのって、至福だよね。w
「その2」では、「ひだまりスケッチ」を見れば誰でも最初に好きになるであろう部分を語ろう。
それはひだまり荘という「擬似家族」について。

ひだまりスケッチ」の登場人物は極端に少ない。ほとんどの場合、主要キャラの四人の女の子、ゆの、宮子、沙英、ヒロでお話が作られていると言ってよいだろう。
この四人はひだまり荘の各部屋に一人で暮らす学生であり、全員が目の前にあるやまぶき学園の美術科に通っている。このひだまり荘はこの四人だけが下宿しており、この四人は正に一つ屋根の下に住む仲間として、とても深い関係を築いている。その関係は、傍から見ているとまるで家族の様である。
彼女達の擬似家族としての立場も明確に分けられている。スレンダー美人で学外に仕事を持つお父さん役の沙英、それをサポートするとても女性らしいお母さん役のヒロ、いつも騒動を引き起こすやんちゃな姉の宮子に、末っ子で子供っぽいゆの、といった具合。
この四人の、互いを思いやるとても暖かい擬似家族的な関係が毎回の如く描かれ、それが視聴者を幸福な気分にさせてくれる。これは「ひだまりスケッチ」最大の魅力といってよいだろう。

  • 特別編「そして元の位置に戻す」に見る擬似家族を形作るもの

この擬似家族描写は、毎回形を変えて登場してくる。ここで前回の続きとして、特別編前編「そして元の位置に戻す」で描かれている「擬似家族描写」について語ってみよう。特にこの回は「擬似家族描写」の密度が濃く、語るべき点が多い。
まずは前回のエピソードリストをもう一度あげてみる。

  1. プールに遊びに行くことを決める。(B)(C)
  2. ゆのがかなづち。(A)
  3. 宮子がゆのの浮き輪の栓を抜く。(C)
  4. ゆのをプールに浮かべる。そして元の位置に戻す。(B)(C)
  5. ゆのが泳ぎの練習を決意。(A)
  6. 宮子がすいかの芯を食う。(C)
  7. 縁側で互いの必要性を実感。(A)(B)

※(A)=ゆのの行動、(B)=ひだまり荘の行動、(C)=宮子の行動

ここで語られている物語としての流れは、(A)「プールに行ったかなづちのゆのが、最後には泳ぎの練習を決意する」というものと、(B)「プールに行ったひだまり荘住人が、互いの大切さを実感する」というものだろう。
キーになるのは「4.ゆのをプールに浮かべる。そして元の位置に戻す。」だろう。
ゆの自身はこの時の記憶は夢でしか覚えていないが、それによって泳ぎの練習を決意=つまり精神的に成長する。ゆのを浮かべた宮子を筆頭とするひだまり荘住人は、ゆのの成長を見ることが出来、精神的な充足を得る。それはゆの本人が記憶していなくても「7.」でゆのがひだまり荘の大切さを語ることによってより強化される。
そして、この一連のエピソードで一番重要な役割を果たしているのは宮子である。
宮子は何事にも遠慮しない。例えば「3.宮子がゆのの浮き輪の栓を抜く。」ような事をするのは、並大抵の事ではないだろう。これは「あえて相手の命に係わる事をして、その命の責任を自らかぶる行為」だからだ。これを友人に対して出来る人間はなかなかいない。単なる考え無しwか、よほど深い愛情(=家族愛にも似たもの)を持っていなければ出来ない事だ。
宮子がそのどちらなのかはここでは判断できない。しかし、その後も宮子は「寝ているゆのをプールに浮かべる」という無茶な行動を発案する。そして、この「家族」は「子供の成長を確認する」という幸福に出会う事になるのだ。
この回のテーマに対し、もっとも象徴的なシーンは「6.宮子がすいかの芯を食う。」だろう。
宮子の遠慮の無さを表しているのはもちろんだが、これには一つ隠喩がある。すいかは夏の日差しを浴びて育つもの、つまり「ひだまり」の象徴でもある。つまり宮子の遠慮の無さは、ひだまり荘四人の中心を食べる=心を捕まえているという事。宮子こそがこの「擬似家族」を形作る力である事を示している。
この「ひだまりスケッチ」という物語の核となる人物は、主人公ゆのである事は間違いない。(この事は後述する。)しかし、「ひだまり荘=擬似家族」という構図を作っている人物は明らかに宮子である。このシーンは、その事を実にさりげなく表現しているのだ。

  • 3期に分かれる「擬似家族」の変遷

最後に、「擬似家族」について全体の流れを見てみたい。
ひだまりスケッチ」の各話は、一年間の月毎の、ある一日の描写で出来ていて、その放送順は時系列がばらばらになっている。これを月順に並べてみると色々な事が見えてくるが、「擬似家族描写」についてもかなりその変遷が分かってくる。
それは大きく3期に分ける事が出来る。
第1期(4月〜7月)は「成長期」。
4月には共通する話題(吉野屋先生)によって互いの意見を交換する単なるお友達でしかない四人。それが互いのウィークポイントを確認する事によって擬似家族としての絆が芽生え始め(5月)、6月には食事を分け合う関係にまでなる。
7月はこの擬似家族にとってとても大切なエピソードだ。まだ、無断で部屋に入られる事に抵抗する沙英。しかしそこに入り込む宮子。四人が同じ風船プール(風呂と同義)に入り、同じ食卓でなべを囲む。ここでゆのは「かなづち」を「のこぎり」と言い間違える。しかし、最後にその言い間違えを受け入れる沙英。ここに「泳げない」=「のこぎり」と解する「家族」が誕生する。3ヶ月かけて育てた青虫くんは見事羽化し羽ばたいていく。それはどこか歪な物かもしれないが。
第2期(8月〜11月)は「安定期」もしくは「創作期」。
「擬似家族」として安定した描写が続く。同時に学校の作品創作に係る描写も多く、それを支えるものとしての「擬似家族」の重要性も語られる。しかし後半になるにつれ、その「完全な輪」としての「擬似家族」に少しだけ外の影が見え始める。ひとつは沙英の仕事。もう一つは沙英の妹、智花の存在。
第3期(12月〜3月)は「円熟期」もしくは「変容期」。
「本当の肉親」智花の登場は、血の繋がらない「擬似家族」にとって、形容しがたい印象を与え続ける。「擬似家族」が決して本物ではないという現実。互いの関係はより深くなっていくものの、その「完全な輪」としての「擬似家族」は少しずつ別の形に変わっていく。
変容を促すもう一つの要因として、沙英の仕事という外からの力。「父の仕事」のようでいて、「子供達」にとっては自身の未来を意識させる存在でもある。2年生の沙英とヒロ、1年生のゆのと宮子。この1学年の違いは親と子の違い、生きるステージの違いでもある。
2組のカップルとしての意識を強める形で物語は終了する。それは「親離れの予感」と同義なのかもしれない。

に続く。

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