なのははなぜ無敵なのか?

なのはの魔力は甚大だ。
それはもう、人から、魔王だ、冥王だ、魔神だ、と言われるほどに。
なぜ彼女は、それほどの力を持つ無敵の存在なのか。
単純な設定としては分かっている。
普通の少女が「偶然」とてつもない魔力を先天的に持っており、それを良い事に使おうとする本人の意思と繋がったため強大な力になった。
そういう事を言いたいのではない。「リリカルなのは」という物語において、なぜなのはは無敵と設定されているのか、という事だ。
ライバルと力と力をぶつけ合い、互いに高めあっていく熱いドラマが魅力的だから?
確かにそれもあるだろう。けれども、それだけならばなにも無敵である必要は無い。ちょうど良いライバルが居れば充分なはずだ。
強大な絶対悪に対して、敢然と立ち向かう正義の強い力が必要だから?
どうも、ストライカーズではそのような展開が主になっているようだ。人を人とも思わない科学者の暴走を、ただただ止めるためだけになのは達の力は使われている。最近の進行からすると、この展開は最後まで続きそうだ。
なのはの無敵の力は「悪を滅ぼす力」なのか?
いや、彼女の力は断じてそんな力ではないはずだ。
なのはが陰険メガネをぶっ飛ばそうが、オレンジもどきを消し炭にしようが、その後に何があるというのだろう。ハリウッド的快感か?やめて欲しい。「リリカルなのは」にそんなものを求めているわけではない。
「無印」にしろ、「A’s」にしろ、なのはは悪を滅ぼすためにその力を行使したのではない。
なのはが対峙したのは、どちらの時も人の心の内にある「悲しみ」だ。
フェイトの「母に愛に報われない悲しみ」。闇の書の「主を取り殺してしまう悲しみ」。
これら負の心のエネルギーは、形の無い、言わば無限にも等しい力だ。それに対峙するには、それと同等以上の正の心のエネルギーとして、無限に強い力が要求される。だからこそ、なのはは無敵でなければならなかったのだ。
正の心の力、それは、なのはの心の「優しさ」の力だ。
なのはが無敵なのは、無限の優しさの象徴なのだ。
それなのに、その力が今ストライカーズでは、単純な絶対悪に対し、単に武力として使われようとしている。
悲しみを持たず、自分に非があることも理解できそうに無い敵だけが居て、自身の娘とも感じている人物を人質を取られたなのはは、その悲しみを憎しみに変えて戦ってしまうかも知れない状況だ。
リリカルなのは」という物語世界において、これほど無意味な力の行使は無いだろう。
いや、その様な力の行使がなされた時点で、ストライカーズというシリーズは「リリカルなのは」という物語である意味を失ってしまうのかもしれない。
今、刻一刻と、なのはの武力が行使される時が近づいている。
その光が、放たれてはいけない光でない事を願っている。