〜らき☆すた〜どうにも許せない、泉そうじろうの矛盾

第22話「ここにある彼方」は、「らき☆すた」にしてはなかなか感動的だった。こなたの母、故かなたが霊として登場し、こなた親子を見守るというもの。
そこでこなたはいつもどおりの質問をそうじろうにする。なぜ、母かなたはオタクなそうじろうを選んだのか。
そうじろうは答える。「世界中で一番かなたを愛している」からと。それを霊となったかなたも聞いているというシチュエーションは、とても感動的に描かれている。
けれども、このそうじろうの答えはどこか引っかかる。
どこか矛盾があるように思えるからだ。
そうじろうは、こなたのような重度のオタクを育ててしまうほどのオヤジオタクだ。当然彼も重度のオタクだったのだろう。それは、こなたが子供の頃からコミケに出入りしていた事からも想像がつく。彼のオタク趣味が、子供が生まれた後に濃くなったというもの普通考えられないだろう。かなたとの回想をみても、そうじろうはかなたとの恋愛とオタク趣味を両立していたという事になる。
重度のオタク趣味と恋愛を両立させていて、「世界中で一番愛している」?
そうじろうのオタク趣味はロリコン18禁ゲームなどの萌えオタに偏っている。それでいながら、このセリフはどう考えても無理があるとしか思えない。
萌えオタとは、空想の中で不特定多数の女の子と恋愛をする事を喜びとする趣味だ。ある意味、不特定多数の女の子と浮気をしているのと同じだ。それなのに、「世界で一番」などとは、どういう根拠で言えたセリフなのだろう。
いや、百歩譲って、そうじろうは萌えオタでありながらもかなたを真剣に愛していたとしよう。現実と仮想は別物と割り切れればよい事だ。(割り切れるものなのかは疑問だが。)
それでも彼の言動には、この「らき☆すた」というシリーズ内において、決定的な矛盾がある。
それは、第14話において、ゆたかが同居人としてやってきたときの彼の心の中のセリフ。
「俺の人生って、勝ち組だよな」
これが最愛の妻を亡くした男の言うセリフだろうか。
彼が、若い娘が家に来て、ただ一人の男として嬉しい思いをするのも、そこに「母」であるかなたという存在がいないからだ。彼の喜ぶ「まるでギャルゲーの様なシチュエーション」は、最愛の妻であるはずのかなたの死があってこそ、成り立っている。
このシチュエーションに浸り、自分の人生に関して「勝ち組」と捉える彼は、ある意味妻の不在を、その死を喜んでいるも同然だろう。
これらの言動を総合すると、そうじろうは、幼馴染のかなたを口先だけで引っ掛けて結婚し、その後かなたが死んでもまるでギャルゲーのキャラが居なくなったかのように気楽に捉え、次の若いキャラを愛でて楽しむという最低の男のように思える。
それは、新しいギャルゲーに次々と手を出し、自分が年をとっても常に若い不特定多数の女の子を攻略し続けているギャルゲーマーの生態そのままだ。ただ最悪なのが、その中に現実の女性を当て込めて、その生と死をないがしろにしているという事。
彼の心の内は一体どうなっているのだろう。妻の死を喜ぶ最悪のオタクなのか。それともそれらは全て演技であり、オタクとしての生活をしてしまう自分になにか葛藤があるのか。
彼の娘こなたの、ストレートにオタクな性質を見るにつけ、どう考えても前者にしか思えない。こなたのオタクスキルは、父そうじろうの最低男としての証拠なのだ。