マキシシングル「恋する旅行少女」清水愛

清水愛の歌が発表されると、いつも自分なりの「物語」をつけている。彼女の歌には、そのような「お遊び」をする余地が存在するのでとても楽しい。
例えば、今までの彼女の歌の世界は「石榴姫の物語」だった。異世界に生まれたばかりの、無垢な心を持ち、それゆえ愛に染まると危険な情念を燃やす魔女姫の物語。
アルバム「発芽条件M」を中心にして「記憶薔薇園」までのマキシが、その「石榴姫サーガ」になっているw。
そして「覚醒ビスク・ドール」から新しいサイクルに入っているw。
石榴姫は一旦平穏な眠りにつき、新たな側面を持つ人格が現れる。それは「人形姫」と呼ぶべき者。情念から開放されたその姫は、しかし、より精神的な世界で、より難しい恋に翻弄されていく事になる。
今回の「旅行少女」は、精神世界においてもう一人の自分を見下ろす意識を持つ、いわば「人形」的な存在。つまりPVにおいて人形劇のように描かれる「旅行少女」はイコール「人形姫」という事になる。自分を見下ろす「人形姫」と対となる存在から描かれている今回のマキシは、いわば「覚醒ビスク・ドール」と対となっていると解釈することが出来るだろう。
しかし「人形姫」にしろ「旅行少女」にしろ、その存在自体が「実際の少女」の仮の姿、つまり精神的な存在であり、その更に上位の存在を描いているこの詩は、相当に深いものになっていると言える。
物語の内容としては、やはり「片思い」だろう。
「旅行少女」つまり少女の精神面は恋に関する困難な旅を続けている。しかし、その「実体」の状況は分からない。もしかしたら実際には既に両想いの関係なのかもしれない。けれども、その彼女の心の内では「困難な旅」が続いている。そうである以上彼女にとっては「片思い」でしかないのだ。
「両想い」だとしても、実際にはその心の内が本当に繋がっている訳ではない。たとえ恋人どうしがいくら言葉で確認しあっても、「自分の心で無い」彼の心は「本当に知る」事は出来ない。どんなに人とわかりあったとしても、「結局人は孤独」という事実を感じさせる詩と言えるだろう。
このように、今回の「人形姫サーガ」は、精神世界においてその構造がより複雑化している。・・・いや、そう解釈して、個人的に楽しんでいる。是非、次回も更に深い世界を展開して欲しいものだ。

恋する旅行少女(DVD付)

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