同居の悦び 〜べびプリにみる日常を実感させる構成力〜

2月29日の春風の日記「ほっとしました」で、ちょっと感心してしまった。
それはべびプリ日記の構成力について。

  • 風邪流行事件の顛末

この事件の最初の伏線は、2月26日さくらの「こんこん」だった。
http://gs.dengeki.com/suteki/blog/2008/02/26/post-62.html
ここで、さくらは少し風邪気味で、お兄ちゃんに甘える描写がある。さくらの甘えん坊な部分を表現した、べびプリ日記としてある意味普通の日記だった。
次の日、2月27日小雨の日記は「みんなでちくちく」。
http://gs.dengeki.com/suteki/blog/2008/02/27/post-63.html
ここでは、姉妹が雛祭に向けて色々と画策している様子が描かれている。このような、女の子達のイベントを描く事こそ、正にべびプリ的な描写と言えるだろう。3月3日に向けて期待の膨らむ展開だ。
ところが、翌2月28日、青空の日記「おちゅうしゃ」で、いきなり雰囲気が変わる。
http://gs.dengeki.com/suteki/blog/2008/02/28/post-64.html
突然、青空が注射をしなければならないという事が描かれている。ただ、1歳児青空の舌足らずな言葉なので、一体何が起きているのかはっきりと分からない。おにいちゃんは一寸した混乱を感じる事になる。
そして、2月29日春風の日記「ほっとしました」で、何が起きていたのかが判明する。
http://gs.dengeki.com/suteki/blog/2008/02/29/post-65.html
さくらの風邪を皮切りに、小さい子達に風邪が流行りそうな気配があったのだ。特に、「みんなでちくちく」の日は、姉妹が揃って根を詰める作業をしていたのだから、その恐れがより強まっていたという状況も読み取ることが出来る。
この辺りの展開を、実に見事と感じた。もう少し分析してみよう。

まずさくらの「こんこん」は、当初、読者にとってはべびプリキャラに起きた一つの「イベント」と感じることだろう。兄として、風邪を引いたさくらとのちょっとしたスキンシップを得る事が出来る出来事なのだから。
そして、「みんなでちくちく」でも、正にべびプリ的な「イベント」への展開が描かれている。各姉妹と触れ合う「イベント」が次々と起き、読者にとって嬉しい日常が続いていく雰囲気を作っている。
ところが、「おちゅうしゃ」では日記の雰囲気がガラリと変わる。ここでは「風邪を気遣う」という、普段の生活において避け得ない出来事、つまり「日常」が描かれている。それは「ほっとしました」の説明によって明かされる。
その時、読者は「おちゅうしゃ」の中に「日常」が存在していると気付く事により、実はその前日、前々日の「こんこん」「みんなでちくちく」の中にも、姉妹達の「日常」があった事に気付かされる事になる。楽しい「イベント」尽くしの日々と思っていたものの中に、改めて姉妹との「日常」を実感させられるのだ。
例えば、この時この家族の家の中には、風邪を警戒して暖かく湿度を上げた空気、少女達の熱の篭った吐息、寝静まりしんとした雰囲気、などを想像することが出来るだろう。
「イベント」は楽しいものだが、それは同時に「非日常」でもある。架空のストーリー上で起こる出来事は、読者に楽しさを与える「イベント」として、つまり「非日常」として、安易に消費されかねない。
ところが、このべびプリ日記では、そこに「日常」が入り込む。その事により、その「イベント」も「日常」の一環に巻き込まれていく。べびプリにおける「日常」、それは姉妹との同居生活だ。そこには、家族との共同生活ゆえに風邪が流行ったり、それを気遣ったりという、避け得ない出来事が存在する。もちろん、「バレンタインデー」や「雛祭」という楽しい「イベント」もあるが、それはある意味「日常」をより豊かにする為のエッセンス、単なる付け足しとも言える。

べびプリは「トゥルー家族」という言葉に象徴されるように、真の家族の実感こそを大切にしている作品だろう。そんな作品で真に重要なのは、「イベント」よりも、同居しているという「日常」なのかもしれない。もしかしたら、その「日常」には、辛さや悲しさなどが生まれる事もあるだろう。けれども、それこそが家族との同居の本当の意味、悦びというものだ。
この「日常」を感じさせる展開は、正にべびプリ世界の同居の悦びを与える、実に見事な構成だった。これにより、読者はさらに「トゥルー家族」としての自分を実感した事と思う。