平野綾First LIVE 2008“RIOT TOUR” Shibuya O-EAST

まず、平野綾を形作っているものは何かという事を、少し斜に構えて分析してみる。
実を言えば、声優平野綾としての資質はというと、それほど特筆すべきものを持ち合わせていないのではないか、と思える。声質とか、演技力とか、天性のものを感じる事はあまりない。
ただ、彼女は元々非常に強い武器を持っている。それはビジュアルだ。彼女の容姿は、グラビアアイドルとしてみても引けを取らないほど良い。実際には若干ロリ系に過ぎるのだが、それもこのアニメ業界として強みとなりえる要素といえる。
では、平野綾は容姿だけなのか。「顔だけ声優」なのだろうか。
それが、そうではないのが、平野綾平野綾たる所以だろう。平野綾は、ビジュアルの他にもう一つ特筆すべき力を持っていると思える。それは「根性」だ。
彼女は、声質も演技力も元々の資質に加えて強い意志力のようなものを感じる。特徴的な声を作り出し、強い固めの演技を貫き通す。自然に上手いとか雰囲気が魅力的とかではなくても、特徴的で、一度受け入れれば印象を強く残す演技だ。それは彼女の精神面の強さを表していると思える。つまりその「根性」で、自らの平凡な部分を無くしているのだろう。
そしてそれは、彼女の歌にも通じる。声優が歌手活動をするのには、やはりそれなりの意味がある。声優には魅力的な声質の持ち主が多いし、それを歌に活かせば、特異ながらも魅力的な歌を作り出せるから。しかし、そういった面から考えると、平野綾の歌は平凡にしかなりえない。事実、そうなりそうな気配もあった。
彼女の最初のインパクト「ハルヒ」の楽曲は、「ハルヒ」という作品に彼女の演技が乗っていたからこその爆発だった。その要素を欠き、平野綾独自の楽曲によって歌手活動を続けるには、相応の追加要素が必要だろう。その後の彼女はロックを旗印に掲げ、傍から見ると非常に辛い展開が続いていたように感じる。それは一度出来た勢いを殺さない為の、必死の活動だったのだろう。元々その手の活動をやっていたとはいえ、いやそれだからこそ、短期間に歌手としてのレベルを上げるなどという事は、至難の業のように思える。しかし、彼女はその道を選び、その努力は少しずつ実を結んでいたようだ。
そして今、歌手としての平野綾が、自らを表現する最初の場がやってきた。招待ゲストとか無料招待とかの逃げ道の無い、彼女名義の正式な最初のライブだ。
ここでの彼女は、声の乗り、ダンス、ライブパフォーマンス、そのどれをとってもほぼパーフェクトなのでは無いか、と思えるほどの完成度だった。・・・これぞ平野綾だ。おそらく、一年前にはまだ危うかったであろう声の伸び、表現力が、平野綾という表現者の下にしっかりとした形になっている。これで、彼女の足場は固まった。これこそが、本当の意味での彼女の歌手活動の第一歩なのだろう。
彼女がこの後、何を表現し、何を勝ち得ていくのか、出来るだけ見続けて行きたい。