清水愛のキラメキラリ

ライブ「PPPH祭り4th」では、数々の伝説的なコンセプトで楽曲が歌われたわけだが、その中で、「清水愛のキラメキラリ」を取り上げてみたい。というのも、このコンセプト、清水愛のライブソング史上、「最高」とも思えるコンセプトだったから。
清水愛はアイドルとして特化した声優なのは間違いない。過去、声優として参加したほとんどがイベントとセットであり、事実、そのイベント参加数たるや他の追随を許さないほどだった。「この作品は清水愛が参加するのだからイベントがあるのだろう」というくらい、清水愛のイベントでの露出は多い。それほどまでに、生身の彼女は求められていた。
けれども、彼女自身がオリジナルソングを発表すると、それは必ずしもイベントで求められていたような「アイドルとしての」清水愛にはなっていなかった。それはそれで、彼女のアーティスト活動として評価すべきだが(個人的には大好きなのだが)、世間的には首を傾げるような展開だったに違いない。
なぜ、彼女のオリジナルソング活動が、そのように展開してしまったのか?
それは、彼女自身がアイドルそのものだったから。言い方を変えると、清水愛は(少なくとも声優活動の場において)個人を全く持ち得ず、完全な偶像としてのみその場に居たから。与えられた役柄は、そのアニメキャラクターになりきって演じきる。しかし、自分自身を出すという事については、極端に苦手。なぜなら、自身のアニメ好きという属性以外に自信を持っていないから。
近年の傾向なのか、通常、声優の歌手活動は声優自身の個性を大事にしようとする。というのも、声優オタは非常にナイーブなのでw、声優の内面を何より気にかけるから。
しかし、そういったコンセプトで清水愛のプロデュースをすると、にっちもさっちも行かなくなる。なぜなら、内面そのものが無いから。純朴さを売り出したりしてもいま一つ合わない。今の展開として、ゴスロリをテーマに物語仕立てでダークに仕上げるのが、彼女の内面の見立てで面白さを引き出す、一つの着地点だったのだろう。
しかし、それは結局勘違いなのではないか、と思う。少なくとも、本来、清水愛に求められていたモノを、結局は形にする事が出来ずに終っている。
清水愛は、オタク属性を内面に抱え、その心の空洞に声優オタクの夢を取り込み、体現させることで声優アイドルとして特異な人気を獲得してきた。言ってみれば、バーチャルキャラクターの依童的な存在だった。
ならば、彼女が真に輝くのは、彼女の内面を発掘する作業ではなく、より魅力的なバーチャルキャラクターを憑依させる事にあったのでは無いかと思うのだ。
そこで、登場するのが、アイマスだ。現在のバーチャルアイドルの代名詞的なコンテンツ。
バーチャルアイドルの依り代アイドル声優と、バーチャルアイドルとの出会い。これがここまで上手くはまるとは思わなかった。アイマス声優の方達には申し訳ないが、真の意味でのアイドルの顕現と言うものを見た気がする。
清水愛も、以前に比べ様々な部分でスキルを挙げているからかもしれない。しかし、今回の一曲は、正にコンセプトの勝利と思えた。逆に言えば、清水愛の可能性は、まだまだ沢山隠されているようにも思う。清水愛の今後の展開には、まだまだ期待したいところだ。

Chimeric voice

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