空の境界最終章 閉じる死の円環の物語

エヴァ:破と同日に見たり。イケイケな感じのエヴァに比べると、こちらは結構地味な感じ。
けど、良いなあ。シリーズの最終章として、しっかりと物語が閉じている。
空の境界」って、一見物語の構造が特異で複雑な感じがするけれども、実際には結構単純な作りだと思う。物語のヒールはもちろん荒耶宗蓮だけれども、ヒーローは実は黒桐。式は、いわば黒桐という人物の在り方を力に置き換える存在と考えればよいか。
荒耶は、人を真実に導く特別な力を得る為、ありとあらゆる手段を取る怪物。黒桐は、特別じゃない日常の為に、自分の命すら賭けられる存在。式は、荒耶の求める特別な力を秘めた、しかし何も無い存在。よって、特別でない事を信条とする黒桐と惹かれあい、実質的に彼の力となる。
荒耶の求める特別な力は、外へ外へと世界を浸食していくが、そこに式がぶつかり合う。実際には、式は荒屋にこそ近しい存在であり、彼女の力はこの世の全てを死に至らしめる程の物。しかし、その力を持つ彼女が心惹かれたのが、全てを「閉じて」、世界を平穏に保つ事だけ考える黒桐だった。
荒耶の混沌の侵食が螺旋の構造を持って世界に広がりを求めていたのに対し、黒桐に心を寄せていく式は、その螺旋を周りから押さえ込んでいく。イメージとしては、式の「直死の魔眼」という死を象徴する力が大きな円を描いて、荒耶の混沌の螺旋を取り込んでいく感じだろうか。
そしてこの第七章では、その死の円環がしっかりと閉じ、式が日常に「還っていく」までが描かれている。
この映画シリーズ、最初の内は少し心配な部分があった。特に第三章などは原作に振り回され気味で、最後に上手く落ち着くか不安に感じたりもした。しかし、シリーズの肝である「矛盾螺旋」がしっかり描けたのが大きかっただろう。あれこそがこの物語の螺旋の中心、正に肝なので、ここを上手くクリアした事で、全体として非常に力のある作品になったと思う。
原作者の奈須きのこは「死」に捉われた作り手だと思う。彼の創作の原点は「死」であり、それを作品の中心におくこの物語は、彼の作品群の中核と言えるだろう。
そして、この「空の境界」が「閉じた死の円環の物語」だとすれば、それと対となるのが「開かれた死の救いの物語」である「月姫」だろう。
何も持ち得なかった「死」であり、それゆえ世界を閉じていった式に対して、同じ「死」でありながら黒桐と同質の心を持つ志貴は、その力を制御して、閉じることなく死で世界に救いを与えていく。
この「劇場版 空の境界」は、非常に優れた結果を出した。
出来うるならば、この後「月姫」の再映像化にも挑戦していって欲しいものだ。