エヴァ:破に納得がいかない気分

もう、夏が過ぎようとしている今日この頃、夏アニメをやっと見始める。
最初に見たのは、エヴァ:破。
周囲からかなり良い感想を聞いていたので、それなりに期待していたのだけれども、なんだか最後まで乗れなかった。基本、ミーハー気質なので、捻くれた見方をするつもりは無いんだけれどもなあ。
話の構造は、とにかく大きな災難が後から後から降りかかり、絶体絶命の危機に何度も曝される主人公達。
しかしその時、なんだか得体の知れない設定がとにかく現れて、その状況を打破していく。その設定、名前すら覚えられないよ、というほど複雑怪奇な設定が出てきては、主人公と人類は窮地を乗り越えていく。最後には、神の力だ、とか言ったり。
さらに、それらは全て計画通り、とか、実はTV版と並べて考えた方がいいかもね、的な構造もちらほら。
演出についても、感動すべき所で必ず流れる、妙な歌たち。
うーん。
感じた不快感を一言で言うと、エンターティメントってこんな感じでしょと言わんばかりの押し付けがましさ、だろうか。
それをTV版のバックアップをつけて回避しようとしている、したたかさも併せてかなり嫌。
娯楽映画が、御都合主義で出来ているのは、重々承知している。けどなあ・・・。
伏線の無い御都合主義って、つまりは子供騙し。昔のスーパーロボットモノのような。それに、実はTV版と連動してみれば充分納得できるよ的な作り方は、単に甘えでしかない。
甘えて子供騙しを作っている、そういう感覚の作品って、なんだか同人誌みたい。
同人誌って、作品を受けたファンの希望を忠実に再現したもの。それを、元々の作り手が作るのって良い事のようだけれども、その実、それはその作者が本来伝えたいと思っていた事を「曲げている」という事。つまりは「偽モノ」。
特に、死ぬべき運命の人が「神の力」で生還するような展開を見ると、その「運命に対する背反」に嫌悪感を感じざるを得ない。(この場合、こちらもTV版に引き摺られているのだけれども。しかし・・・)作り手が神だからキャラの生き死には自在だよって言ってしまったら、その物語って何だろう。そんな物語に意味が有るのだろうか。
この映画がエンターティメントなのは判っている。前作エヴァがエンターティメントに徹していないと非難された経緯も承知している。
けれども、意味の有る物語として、超えてはいけない線を越えてしまった映画のような気がしてならない。