Chimeric voice

凄いね。このシングルは凄い。
清水愛のアーティスト活動は、結構長いこと続いている。そして、その内容は、その場その場の状況に流されるアイドル的な活動ではなく、あくまで独自の世界観の中で作られている。その結果生まれるのが、世界観の積み重ねだ。
もちろん、明確なストーリーとかが存在しているわけではない。設定が繋がっている訳でも無い。しかし、「何かが」繋がっている。その「何か」とは、おそらく「清水愛」という声優の存在そのものだろう。
清水愛の作品全ての歌詞は、畑亜貴によって作られている。そして、畑亜貴清水愛は、長くラジオでコンビを組むなど昵懇の間柄だ。いや、畑亜貴にとって清水愛という存在は、かなり「美味しい」人物だったのだろう。ただ眺めるだけで、清水愛自身も知らない清水愛の実像を、この奇才は感じ取っているのかもしれない。そうして生み出されているのが、清水愛という「キャラクター」の積み重ねであり、その写し世として、虚構の世界観としての新たな歌のように思える。
前作のアルバムは、実際には、その様な虚構の世界観の構築というコンセプトから、若干外れたものだったと思う。というのも、今までに発表された作品を、とにかく一つの中に投げ入れただけのようなものだったから。作品としての幅は広がっているが、作品に取捨選択は無く、決して「構築」はされていない。正に、記録としてのアルバムだった。
なので、清水愛がこの世界観を作り始めて最初に到達した「発芽条件M」の時のような「結論」が、その後の展開で未だついていなかった様に思える。
もう少し抽象論的にいうと、「発芽条件M」までの清水愛は、アイドルとしての「生身の身体」を題材にしていた。それが精神的に満たされ消えるまで。
しかし、その後の題材で、虚ろな身体=人形としてのアイドルが誕生し、その苦悩とも言える世界観が描かれていたように思う。そして、それは虚ろなる故に、解決の難しい袋小路的なイメージがあった。
前アルバム「NUOVA STORIA」でも、それに対する救済的な歌もあったが、それでは全く追いつけないような深みにはまっていた様に思う。だからこそ、ごった煮的なアルバムとしてしまったのだろうと思った。
しかし、今回のシングルでは、その「深み」に直接切り込むような凄みのある作品になっている。これは、清水愛の作品を追いかけてきた者だけが理解できる深みだろう。
「Chimeric voice」の主格は、能動的だ。清水愛の歌の中で、能動的なキャラは珍しい。しかし、一度能動的に動き出すと、それは明らかに破滅へと進むことになる。破滅へと進むことを自身で充分理解していながら、それでもなお自分の存在そのものをより研ぎ澄まして、あえて進もうとする姿を、この歌から感じることが出来る。おそらく、この歌は「覚醒ビスクドール」によって生まれた、人形としての人格の物語、その終焉を描く為のものと言えるだろう。
そして「Metamorphoses」は、その後の「何か」だ。ここでは何に変わったのかは描かれていない。あえて言うならば、「残り香」だろうか。
「生身の身体」を捨て、「人形」である身もすり減らし、後に残るのはただ「香り」「風」。それでもなお、そこに居るものの存在を主張してしまう。
清水愛という、自我を主張したくないアイドル、その魂の望む先を見通しているような歌だ。
・・・
もちろん、ここに描いた事全て、個人的な妄想の産物だよw。

Chimeric voice

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覚醒ビスク・ドール(DVD付)

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