堀江由衣をめぐる冒険2 〜武道館で舞踏会〜を読み解く

壮大な「物語」である堀江由衣のライブ。それが今回、武道館では二日間にわたる物語になっていて、面白かった。
とは言え、両日の内容はほとんど同じ。ただ、その内容は「同じ事件が何回も繰りかえてしている」というものであり、同じ内容ながら繋がった話になっている。いわば「エンドレスエイト」のようなものか。
展開はこうだ。

堀江由衣が自分のライブ会場に向かって急ぐ森の中の道すがら、舞踏会への看板を見つける。つい、そちらに向かってしまう由衣。そこは蜂の国で、民衆蜂に圧政を敷くユイ19世という悪い女王が君臨する世界だった。
蜂達に女王を倒し世界を救う伝説の光の勇者と呼ばれる由衣。最初は断ろうとするが、「永遠の17歳」という言葉に引かれて、つい引き受けてしまう。
情報を集めていると、熊のバーテン「クマスター」から伝説の光の剣「HONEY JET!!」の話を聞く。その由衣は剣を探し出すが、剣は光っていない。さらに、そこにユイ19世の手先が現れ、戦いの末、命を落としてしまう。天国で「みんな」に光の剣の使い方を伝授するが、死んでいるのは変わらず。
伝説の勇者が死んだと知り喜ぶ女王は舞踏会を開催する。しかし、由衣は「みんな」の「復活の呪文」で復活、舞踏会に潜入する。
ついに由衣と女王の戦い。互いに光の剣を振って戦うが、最後には由衣が女王を倒す。喜ぶ蜂たち。その後、蜂たちは由衣を新たな女王に推す。それを受ける由衣。ユイ20世の誕生。そして・・・
ユイ20世のさらなる圧政が続くのだった。バッドエンド。
これが19日の展開。いわばユイ19世時代の物語。そして20日は、前の物語でユイ20世となった堀江由衣の悪政を、新たな堀江由衣が倒しにいく物語。特別な理由は無いが、最後の女王戴冠のとき、今度の堀江由衣は武道館のライブを思い出し、女王になるのを断る。そして、蜂たちは女王の圧政から解放され平和に暮らすのだった。

この物語、オーソドックスなだけに色々と面白い部分がある。
まず、象徴的部分。
蜂の国の物語となっているが、蜂は人の魂をあらわす象徴。つまり、蜂の国を描く事自体、精神世界の物語である事の象徴となっている。
そして、クマスターが光の剣への道筋を教えるが、熊は強い力、神の化身的な意味合いがある。また、豊かさの象徴でもあり、蜂蜜との関連も深い。
光の剣「HONEY JET!!」」は蜂蜜のイメージだが、蜂蜜は力の集約、協力を意味する。正に会場の観客の力の集約の象徴として最適だ。
これら、象徴として意味のあるガジェットで物語が作られているので、物語世界に違和感無く入り込める事ができる様になっている。
神話的な部分も見逃せない。
この物語は、典型的な「冥府めぐり物語」だ。英雄になるべき者がある使命を与えられるが、実際には力が足りず、一旦は命を落とす。しかし、冥府で人知を超えた特別な力を与えられ、復活も果たし、使命を全うする。これは英雄が特別な力を手に入れる物語として、正にオーソドックスなもの。
ここでは、会場の観客という「勇者の連れ」の協力を得るという形で、特別な力を表現している。会場の観客は「蜂のカチューシャ」や「熊ののべぼう」というグッズを手に入れる事ができる。これは観客が「蜂」=堀江由衣の精神の一部となることであったり、特別な「強い力」の象徴だったりする。このような仕掛けによって、観客は堀江由衣の精神と一体となり、大きな力によって悪を倒す冒険に、直接参加できるようになっている。つまり、特別な力=舞台と観客の壁を突破する力とする事ができる。
そして、白眉は物語の構造だろう。
堀江由衣は武道館のライブに行く、つまりこの会場に行く途中、一寸した気の迷いから無限に同じ事が繰り返される物語世界に入ってしまう。その事自体、このライブが普通とは違う、別の世界である事を表している。初日の世界が二日目の世界では物語の中の世界となっていることを表す事によって、初日の世界が、その初日の時、既に物語の世界にあったという事を意味しているわけだから。もちろん、二日目も同様だ。
つまり、この構成がある事によって、このライブに参加した観客全員が、物語の世界に連れて行かれた=異世界に行ったという事の証明になっているわけだ。
堀江由衣はアンコールの時「(物語の)意味分かった?」と観客に聞いていたが、それはこういう意味も感じてくれたか確認したかったのだろうと思う。
また、この構成自体、一つの象徴になっている。堀江由衣は「永遠の17歳」というフレーズに惹かれ、勇者を引き受け、繰り返しの世界に入ってしまう。そして、女王として圧政を敷く。永遠の若さを手に入れることは、時を止める事と同義。時を止めた世界に居ると色々と無理をまわりに与えてしまう。圧政に苦しむ蜂は堀江由衣ファンのパロディとして見る事も出来るだろう。若干自虐的ながら、それでもなお自分の事を応援し続けてくれるファンに対して、その無理を自身で判っているというメッセージと受け取る事ができる。誠実さの一つの表れと言えるだろう。
ともあれ、堀江由衣は、武道館のライブという大舞台で、これほどまでに趣向を凝らした大掛かりな「物語」で私たちを楽しませてくれた。
それも、ここまで書いた事は、ただ「物語」部分に過ぎない。このライブの中には大量の歌が、それも飛び切り魅力的な堀江由衣の声によって散りばめられていた(というかそれが主体だ)し、堀江由衣自身も衣装をどんどん換え、ダンスもし、視覚的にも実に魅力的だった。耳と目と、そして心と、全てを喜ばせるエンターティメントだった。なんとも贅沢なライブだったといえるだろう。