ROBO太 6th Anniversary LIVE 〜第11回ROBO太祭りW〜 吉祥寺 CLUB SEATA

純粋に清水愛目的で。
なんだか、ROBO太祭りも結構な回数参加している気がする。このイベントの凄い所は、単なるカバーライブと思いきや、本物のアーティストが出てきて歌ってくれるという事。今まで生で聴く機会など全く無かったあんな歌やこんな歌を聴くことができたのも、このライブならでは。虚仮の一念岩をも通すというが、どんどん本物度が増してきている気がする。
それにしても、このイベントって結局何を目的にしているものなのかな。本物アーティストをライブプロモートする事?それとも競演する事?ROBO太ジェンヌを売り出す事?いやいや、ただ楽しければ良いのか。ただ、そういった主催者の意識によって、今後の方向性も違ってくるのだろうなあ。どうなるのだろう。
そんな事を考えるのも、ただ楽しいだけのライブってどうだろう、という意識があるから。ライブとは正に「生きた」という意味であって、それは「特別」でなくてはならないと思う。だって「特別」だからこそ、他人の「生」を見ようと思うのだから。ライブで「アニメの主題歌を務めた特別」「声優を務めた特別」の「生」が見られるのは、アニオタとして嬉しい事だ。それだけに、カバーソングなども、それなりに意味が無ければ、特別にはなりえないので、楽しいとは思うけれども、どうしても魅力を感じる事ができない。残念ながら。
本物のアーティストのパフォーマンスに関しては満足出来る。檜山修之の雄叫びとか、素晴らしい。けれども、若林直美とかがカバーを歌ってくれたりしていても、なんだか物足りない。それって本物じゃないから。楽しませる為「だけ」でしかないから。
やはりライブは、本物であって、特別であって、意味のあるものであって欲しい。これは貪欲な消費者の戯言として聞き流してもらってよい事だけれども。
清水愛に関しては、本人のパフォーマンスに興味があったので、今回は出てきてくれれば充分満足。で、実際には予想以上だった。
彼女の場合、声優としての人生に「アニメ好き」という経歴が含まれているので、それにちなんだパフォーマンスを披露するのは立派な意味がある。自身の絡んだ作品や、かつて好きだった作品から歌をチョイスし、それにちなんだコスプレまで披露してしまう。そこまでやってこその「特別」だ。そこには、歌の上手い下手など関係ない「意味」がこもっている。
それにしても、彼女はどうして、こうやってコスプレしてノリで歌ったりするときはトチらないのだろうw。いや、彼女の特性を考えると充分理解できる事なのだけれども、なんとも歯がゆい。良いものを見られたという事では、とても満足しているのだけれども。
このイベント、そんな特別、本物、意味の有る無しで行き来する中で、清水愛のパフォーマンスを引き出してくれたけれども、今後も同じ様には行かないだろう。ひと時の交差というか。そういった意味では、特別なライブだったと言えるのかもしれない。