マップスネクストシート完結 〜SFのスケール感と生きた物語〜

気がついたら終っていた。そうだよね。もう完結だったよね。
最終回のあらすじは・・・
度重なる戦いの末、主人公は既に人を超えた存在になっている。彼が世界を救う最後の行為は、仲間達とは二度と出会えないほどの未来に行ってしまうこと。結果、世界は救われる。そして、世界に戻ってきてみると、そこには歴史上の英雄として称えられている自身の姿。また、生き延びていた仲間もいた・・・
なんだか、最近このような展開見た事が有った様な・・・w。ね、やはりこの展開はこの世代の人達の、引き出しの一つなんだよね。(岡田斗司夫53歳。長谷川裕一50歳。赤松健43歳。あれ、赤松健は若いかw。赤松先生の場合、リスペクトを自認しているから、一回り違うのかも。)
で、ネクストシート全体の感想としては、なんというか「がばがば」な作品だったなあ、という感じ。
いや、作品自体はとても面白かった。他に無いスケールの大きなSFとして、そして少しエッチな冒険ものとして、実にエンターティメントしていた。しかし・・・
大作の続編が陥る欠点なのだけれども、前作の壮大なスケール感を更に広げようするばかりに、読者の感性がついていけないことがある。(エスカレートバトル物にも似たような欠陥があり、そういった点でも似ているなあ。w)
SFファンタジー系の物語を作っていて、それが大規模化すると、あるときから「何でも書ける」と思える時が来るのかも知れない。つまり、作品の展開の中で架空の設定を積み上げていくと、物語の展開に制約が無くなる。どんな奇抜なストーリーでも、全て今までの設定で「無理なく」説明が出来てしまうので、物語が作者の思うがままになる。
けれども、それって「生きた」物語じゃ無くなる。物語は現実との照らし合わせが出来ることにリアリティが生まれ、物語も生きてくるのだけれども、その照らし合わせるべき現実が喪失しているので、物語には「作者の物語作りの意志」しか見えてこない。
例えるならば、物語のスロープを通るのに、丁度良い大きさならば流れるように通れるけれども、そのスロープががばがばに大きいと、「作者の意志」で曲げられた角にあっちこっちぶつかってしまう感じか。
マップスという「作品世界」がどうなっていくのかという興味よりも、長谷川裕一の作劇がどうまとめるのか、という低い興味しか湧かなくなる。まあ、作者の思考実験に付き合っていると思うと、実に面白いともいえるのだけれども。それはSFの醍醐味でもあるし。
前作マップスでは、そこに至る直前で綺麗に完結し、正にSF漫画史に残るほどの傑作だったと言える。そこで使った、「既に開拓された」道をまた通るような物語だったのだから、致し方ないともいえるが、それだけに、ただスケールアップだけを目指すのではなくて、例え繰り返しになったとしても、もう少し小さなスケールの物語部分を丁寧に描いて欲しかったというのが、正直な所。
やはり、スペースオペラは、元は単なる冒険物語なのだから、人としての生身の体や知恵を駆使して戦う部分を実感させる事に価値があると思いたい。