アニメにおけるマッチョ系の復活

今年の夏アニメの傾向で少し興味深いのが「マッチョ系主人公」が結構あるという事。
マッチョ系とは、言わば筋肉に代表されるような男の能力を駆使して、女とか世界とかを獲得する事に意欲的な存在とその物語。女を脇に抱えて冒険を繰り広げる、昔のヒロイックファンタジーとかスペースオペラとかのイメージ。
これはヒーローを描くエンターティメントの最も典型的な形かもしれないが、実際のところ、日本のアニメの世界では、ほとんど絶えて久しい状態だったと言える。アニメのヒーロー物の典型と言えばロボットモノだが、ガンダムアムロ以降、ひ弱な主人公しか乗り込まないし、ロボットモノ自体も少なくなりつつある。ヒーローと呼べる存在自体、アニメで描かれる事がほとんど無い状況だ。
このマッチョ系が受け入れられない、ヒーローが描かれないという事について、受け手のオタク達の反応がより強く反映するライトノベルの歴史から見てみると、少し分りやすいかも知れない。
ライトノベルは、元々典型的なヒーロー物、ヒロイックファンタジーとかスペースオペラから発祥したと言って良いだろう。より自由な表現のジュブナイル向けヒロイックファンタジースペースオペラが母体だった。
しかし、ライトノベルという言葉が生まれて定着する事には、既にこの「典型的なヒーロー物」=マッチョ系は、受け手に「少し違う」と思われる様になっていた。より「ライトな」「存在自体が軽い」主人公が求められている様に思う。女の子が強い存在の「スレイヤーズ」、主人公の存在自体が無いといえる「ブギーポップ」「シャナ」、主人公の力が「無」の「とある魔術」も、その典型だろう。
男主人公は何も求めない、特殊な能力はあってもありきたりの「力」は持っていない、女の子には極限まで優しいけれども優柔不断w・・・、言ってみれば、こんな「草食系主人公」こそ、受け手であるオタク達が、自身を仮託する対象として、「心地よい存在」だったのだろう。
様々なライトノベルにおいて、このある種複雑でなくてはならない「草食系主人公」を成立させる為に、涙ぐましいほどの創意工夫がなされていたように思う。
しかし、ここに来て、ライトノベルやアニメにおいて支持を集める典型的な主人公像に、変化が出てきたのだろうか。「マッチョ系主人公」が出現、というか、復活し始めている。
その原因はというと、おそらくそんなオタクと呼ばれる存在が拡大し、ライトオタクとしてより多様化してきたからなのだろう。
結局の所、本来、自分に自信が無くて現実逃避の手段としてライトノベルなどを楽しむからこそオタクという存在だった。しかし今は違う。エンターティメントを楽しみたい存在全てが普通にオタクコンテンツを楽しんでいる。そこでは、より分りやすいエンターティメントを求める声も上がるだろう。「なぜ主人公がひねくれてなければならないのか」、「もっと単純に、願望充足できるエンターティメントであるべきだ」と。
実は、この「マッチョ系」の要望は、オタクコンテンツの一分野ともいえるエロゲ系で継続して受け入れられていた。より広い層に強くアピールするエロゲコンテンツではオタクと一般の区別はほぼ無いので、これは当然だろう。そしてエロゲ系は、同じオタクコンテンツとして、ライトノベルやアニメに影響する事も有りえる。
ただ、その「マッチョ系」がライトノベルやアニメに「逆波及」するのは、少数の例は有るものの結構時間がかかっている。それくらい「マッチョ系」と「草食系」には大きな溝の様な物があったのだろう。
しかし、受け手がライトオタクとなりつつある今、その溝は消失し始めているのかもしれない。そして、あからさまに「マッチョ系」がアニメにも進出し始めているのかも。
これは有る意味先祖がえりとも言える現象であり、今までのオタクコンテンツの創意工夫の歴史を考えると一抹の寂しさを感じざるを得ないが、これも時流に乗るべきエンターティメントの宿命なのだろう。