大器 戸松遥は「進化しない」

戸松遥がまた主役キャラを演じている。
となりの怪物くん」で彼女の声を聞いて、なんだか苦笑いをしてしまった。「下手だなあ」と口にしつつ、彼女の声を聞いて、その声の魅力にニヤニヤが止まらない。
徹底してアニメキャラとしての「媚び」を排除する声。ある意味、実に生っぽい。これは、他を引き合いに出すとすると、坂本真綾が得意とする方向性だ。ただ、坂本真綾だとしても、それはごく初期のものと似ている。演技にアラがあり、一面とても素人臭い。
で、よくよく考えてみると、戸松遥の演技は、他の役でも演技のアラが多い気がする。彼女の声を聞いて、まず最初に感じる事は、本当の「あたり」から少し外れたような、微妙な素人臭さだ。これだけ多くの主役を演じているのに、彼女にはいつまで経ってもそれがある。素人目に見て、戸松遥の演技が上手くなったという実感が、どうしても感じられない。
しかし・・、それと彼女の演技の魅力は、別。
坂本真綾の演技は、当初から瑞々しい演技として、評価されていた。それと同じ様な演技を、戸松遥は他に沢山の主役を経た後、演じている。・・・全く素人臭く、生っぽく、魅力的にw。
彼女の演技の幅は、少し常軌を逸している。片方で上品なお嬢様キャラを演じつつ、もう一方の男っぽい女の子役では、声が壊れるのでは無いかと思うほどの雄叫びをあげる。神気溢れる神様声はお手の物だし、のんびりした癒し系ウィスパーボイスも引き受ける。そして、屈託の無い天真爛漫少女は彼女の十八番だ。
そのどれも、有る意味上手くは無い。が、何処かに魅力がある。演技にブレが有り、その為少し生っぽい。その上、彼女の声そのものには一品の輝きがあり、それが声に力を与えている。新しい種類の役を引き受ければ、それを「どこか欠けた」形で演じ、結局、彼女自身の魅力で補ってしまっている。
なぜ戸松遥は、こうなのか。
色々考えるに、彼女にはどこか「鈍感」なところが有るのだろう。小賢しい演技を駆使したりしない。自分の感じた声を、ただ真正面から演じるだけ。もし、今まで演じた事の無い種類の役でも、ただ感じるままに演じる。そこに、前の役の演技の積み重ねとかは「無い」w。なので、何時まで経っても演技がまとまってこない。つまり、上手くなっていると思える気配が、何時まで経っても来ない。
ただ・・・、魅力的な役は今後も彼女の元に集まってくるだろう。
戸松遥は進化しない。ただ、その大器はこれからも貪欲に役を受け止め続け、その魅力を増していくような気がする。

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