アニメに見られる格差社会に対する意識の高まり 〜「まおゆう」や「マギ」がより評価される理由〜

「まおゆう」を見て、少し前から感じていることを言いたくなった。
「まおゆう」や「マギ」は、片方はファンタジー作品構造の逆転、もう片方は古き良き冒険物の復権と、両者ともエンタメの新天地を目指すかのような作品であり、その評価は、原作発表時点からかなり高いものがあった。それゆえ、アニメ化にもつながったのだろう。
ただ、その作品に対する評価について、それをより高める要素が、両者に共通してあるように感じている。
それは「階級社会」について、真正面から描く事。実は、この階級社会を描く事については、あまりエンタメに向いていない。いや、階級社会を問題とし、それを倒すような物語ならば、枚挙に暇は無いだろう。しかし、階級社会の本当の意味をエンタメとして描くのは結構難しい。何故ならば、階級社会は「虐げられている側にも問題がある」から。受け手は大概、その虐げられて居る側に感情移入しているので、階級社会を真正面から描くには、どうしてもある程度苦い話になってしまう。エンタメで苦味を多くするのは本来ご法度なので、普通その部分は「触り」程度で済ませている事が多い。
しかし、この2作品は両者ともその苦味をある程度受け入れる形でエンタメとして成立させている。その辺りが評価を高めている理由だろう。
そして思うのだが、世間一般的もこの「苦味」を求めている風潮がある様に思う。それは現実にある「苦味」であるところの「格差社会」と、この「階級社会」をダブらせているからでは無いだろうか。
今の時代、「格差社会」は「年齢格差」などと一緒に、この日本では絶対に払えない澱みたいに定着している様に思う。特に、それを感じているのは若年齢層。つまり、アニメを受け取る世代の多くが、この歪んだ現実社会を何とかしたいと思っているのではないだろうか。そういった傾向があるからこそ、このような「苦味」に対しても、敏感に反応しているのでは無いかと思える。
世間では、アニメの売れ筋は安寧とした「日常系」と言われて久しいように思うが、ここのところ、こういった「少し不穏」な作品を受け手は求め始めている様に思う。エンタメだけではない、より強い、社会を攻撃するような発信性をもった作品が望まれているかもしれない。
ただ、アニメはやはりエンタメとして求められる部分が強いから、「まおゆう」や「マギ」の「それ」が視聴者に本当に届くかどうかは別だが。今後のアニメの評価が気になるところだ。

マギ 1(完全生産限定版) [DVD]

マギ 1(完全生産限定版) [DVD]