ラブライブ!12話を評価する 〜「正しい作り」と「求められているもの」〜

うーん、あまりよろしくないね。折角今まで積み重ねてきたのに、上手くない作りをしている。
ネット巡回してみても、やはり、かなり荒れている。まあ、これが普通の反応だろう。
いや、作品として良く出来てはいるんだよね。物語として、とても「正しい」作りだと思う。μ’sの、穂乃果の本来の目的とは何か。それを炙り出すために、「表面上の」目的であった「廃校阻止」「ラブライブ出場」をあえて消してしまい、主人公をどん底に落とす。ここから、主人公達が求めていた「本当の事」を明確にする展開にするのは、実にきれいな物語構成だ。
けれども、物語って、「よく出来ている」だけじゃ駄目なんだよね。当たり前の事だけれども、「受け手が何を求めているか」が大切。
だって、受け手にとって嬉しいのは、「穂乃果達の本当の目的を知る事」じゃない。それは、作り手が承知しているだけでも良いくらい。
受け手が「ラブライブ!」を見て、何に喜びを得ていたか。それは、「穂乃果達が困難を克服していく」こと。つまり、「廃校阻止」「ラブライブ出場」を達成する姿を求めていた。それを捨ててしまって、「より正しい」作品構成をしたとして、本当に捨てたものに匹敵する喜びを、受け手に与えることが出来るのかというと、とても厳しいと思う。
いや、きっと帳尻はつくんだよ。最終回、穂乃果は自身の本来の目的を思い出し、μ’sの活動意義をしっかり持つことによってことりの留学も思い止めさせ、あの9人の今後の活動も約束される・・・とかなんとか。
けれども、それって、既に3話の失敗のときに同じような展開やってない?いままでの積み上げ、μ’sの奇跡的な活動が生み出してきた熱を、ここでどん底まで冷ました上で、やって本当に意味がある?
物語って、ライブなんだよね。熱量を持つ。溜りに溜まった熱量は、活用しなくては意味がない。これだけ溜まった熱量を、短い話数で最大限に活用しなければならないとき、こういう快楽に対する「抵抗演出」をクリティカルに使うのは危険すぎる。
こまけえことはいいんだよ。(笑)
「穂乃果達が何を求めていたのか」とか、そんなのは私とかオタクブロガーの分析材料として放って置けばよい。
それよりも、11話で「落とした」としたら、今ある熱量を出来るだけ下げないよう、この12話ではそれを回復させる話、そして最終13話ではさらに熱を持たせるために、奇跡的なラブライブ出場権敗者復活で、「私たち廃校阻止とか関係なくアイドルが好き!」とか、知らない内に核心を語らせて、受け手の快楽とともに帳尻を合わせるくらいの方が、今の「ラブライブ!」の持つ熱量からの展開には相応しい。
作り手って、たまに頭で考えすぎて、折角の良い流れを自ら止めちゃうよね。そして「自己満足」とか叩かれたりする。
こういうのって、一人の人間が作っていると起きる事なんだけれども、日本のアニメは、未だにこういうことが多い。きっと現場では、一人の意見が強いんだろうなあ、とか思う。協議が出来ない日本人ならではの危険性だ。
ラブライブ!」は、きっと「良い作品」としては残るだろう。けれども、今回の展開で、「凄い作品」と評価され損ねる可能性は、非常に高まっていると思う。残念だよね。とにかく、最後まで見守りたい。